2017,9,8のマヤ暦シンクロ通信に先日開催した石川仁さんの講演内容を聞いた越川先生がうまく要約して一部を取り上げてくれました(^^)v
シンクロ通信を読んでない方のためにコピペしました♪
文明、文化とは程遠い「追い込まれた境遇」におかれてこそ、本来の人間のあり方(原型ともいえるもの)が垣間みえるのかもしれません。
《「やさしさの壁」。そう呼ばれる壁が、イランの街角にできたのは、二年前の冬のことだといわれる。誰かが道路脇の壁にフックをつけて、こう書いたのだ。「いらない物があれば、ここに置いていってください。必要な物があれば、持っていってください」
家もなく路上でこごえる人に、さりげなく衣服などを贈るのが「やさしさの壁」。イラン第二の都市マシャドで始まったとされるこの素朴な運動は、またたく間にイラン国内のみならず周辺各国に広がったそうだ
今レバノンでは、シリア難民らのための「やさしさの壁」がつくられているという。人口六百万ほどのレバノンには、内戦続く隣国シリアから百万もの人が逃れてきた。レバノンにとっては大変な重荷で、難民への目線も鋭くなっている
国連によれば、レバノンでのシリア難民支援には、およそ二千億円が必要だが、確保できたのは二割。支援の手が届かぬまま、困窮し、敵意にさらされる難民は目に見えぬ壁に囲まれているようなものだろう
米国では、メキシコ国境に巨大な壁を築くという大統領が、米社会に根を下ろした「罪なき不法移民の子」まで追い出そうとしている。難民や移民への嫌悪、憎悪という見えぬ壁は、世界各地で高くなっている
そういう「壁の時代」にあって、「やさしさの壁」は、何かとても大切なものを守っているようだ》
(中日新聞 “中日春秋” 9月7日)
「やさしさの壁」のような考え方が、人類を救うのではないでしょうか。この手法は、ある意味「コミュニティ」です。共同体という発想にも近いでしょう。
このコラムを目にしながら、9月2日、宮崎県日向市で開催された探検家・石川仁(いしかわじん)さんの講演会での感動を覚えたいくつかのフレーズを思い出しました。
仁さんは学生時代から世界各地へと探検に出かけます。そのモチベーションとなっていたのは「『生きているだけで幸せ』を細胞レベルで実感したい!」との衝動だったといいます。
ご存知のように『明石家さんまさん』の娘さんの名前は『いまるさん』これは「生きてるだけで、 まるもうけ」からとったと言われています。この言葉の意味、ニュアンスを頭ではなく、細胞レベルで感じたかったと・・・。
当時、仁さんは「『死と向き合う』という手法で、この境地を体感出来るのではないか」という発想に至ります。そんな思いで暮らしている中、出合ったのが「サハラに死す」という本でした。
同書については次のように解説されています。「サハラ砂漠は東西7000キロ、横断するルートはなく、途切れ途切れにあるオアシスを点と点で結ぶしかない。この前人未踏の単独横断に、上温湯隆は一頭のラクダとともに挑み、しかし、志半ばで消息を絶ってしまう。サハラ砂漠に青春のすべてを賭けたひとりの青年の、その想いを描いた不朽の名作である」と。
この本の影響もあり仁さんは「砂漠」に足を踏み入れます。結局、砂漠の中に6カ月滞在することになります。そこでの話は、私からすれば、もっともっと聴きたい宝石の粒のような輝きに満ちたものばかりです。
その一つに砂漠で人に出会ったらときの「ルール」の話が深く印象に残りました。それは砂漠で人に出会った場合、「互いに全ての持ち物の『半分』を分かち合う」というものです。しかも問答無用にです。この話を聴いたとき、「お見事!あっぱれ!」なことだと痛快な気持ちになりました。生死がかかった究極の世界でこそ、人間としてのゴールデンルールが秘められているものです。
この話は、コラムの「やさしさの壁」に通じるように感じたのです。このようなコミュニティ精神を出来る範囲で実践できれば、その場は「豊かさと思いやりを実感する時空間」となるのではないでしょうか。これこそがマヤをはじめとした「先住民の叡知」でもあります。
少しでも、このような精神を取り戻すことが、国家の破綻を防ぐ数少ない具体的方法に思えてなりません。
さてK108 黄色い星 赤い蛇 音4です。
「缶詰は中身が見えないからこそ、製造するものは正直でなくてはならない」
キューピー創業者・中島董一郎(なかしま とういちろう)の言葉です。究極の本質は「目に見えない」ところにあります。そこに全ての焦点を当て、掘り下げることで、課題や問題の根っこが見えてきます。
この「根っこ」の部分をどう扱うかで、全ては決まると言ってもよいでしょう
今日のシンクロ通信より