でも、Arizonaから帰って無性にこの本が読みたくなって、今回は、一気に読破しました。
涙が溢れて、内側から込み上げで来るものが、なんなのか…
それは、今、私が伝えていきたい事とこの本の中のグランドファーザーが伝えたい想いが同じである事…
例えば、
サバイバルのやり方には、二つのタイプがある。白人の生き方と先住民の生き方だ。
白人のサバイバルは、自然を傷つけるが、先住民のサバイバルは、大地を助けるという事である。
グランドファーザーが例え話しをしてくれたところを抜粋します。
弓にする材料が必要なとき、白人は、すぐ出かけて行って、1番いい真っ直ぐな若木を切ってしまう。それが大地にどんな影響をおよぼすか、未来のためになにを残すか、ほとんど考えない。白人にとっては自然は、じぶんのためにあるもので、どのように使おうと勝手なのだ。土地も水も動物も植物もどうなろうと構わない。自分の必要を満たすだけで、未来の世代のことも、自然全体のことも考えない。白人のとってのサバイバルは、自分自身と自然との戦いなのだ。自分が創造の法則の上に立ち、土地を支配できると思っている。このようなサバイバルは大地を破壊してきたし、未来にも禍を残す。白人のこうした考え方は、地球全体のあらゆる社会に受け継がれてしまった。子供を養うために自分たちの子孫を殺すような社会だ。
先住民が弓の材料を集めるときには、まず、断食と祈りの期間を設ける。ともかく兄弟の命をもらうわけだから、ただ木を切るという簡単なことではない。そうしてから旅に出て若木を探すのだ。先住民は、1本だけ真っすぐに伸びている若木を選んだりはしない。若木が密生して、競いあっているところを探すのだ。互いに土と日光を求めて競い、何年も経つうちには、多くが枯れたり傷ついたりするのをしっているからだ。放っておいたら森は強く丈夫にはならない。
もうすぐ枯れるか、他の若木に押し出されてしまうようなものを探すのだ。
そんな木をみつけたら、この若木を切るのは、その土地にのためにも良いことかと自問する。もし、良いなら、この木を切ることで、子供や孫に何を残してやれるかと自問するのだ。強くて健康な森になるだろうか?
そうしてからやっと木を切るのだ。
この中で、白人と言っているけれど、白人という人種を憎んでるわけではなく、大地を破壊していくような考え方だけを指摘しています。
ワンネスの考え方。
マヤでは、インラケッチ《私はあなた、あなたは、私》
全てはひとつ
今のこの日本でどうやって、伝えていけばいいんでしょうね🌳