初めての、アメブロ・・・・
なにからかこうかなぁ~
ちょっと不思議な話
「いのち」の話し
普段は、それほど意識してないかもしれないけど、僕たちは漠然と
「私の命と、他人の命は別のものである」とか
「一人に一つの命が割り当てられている」という価値観で生活しています。
本当にそうでしょうか?
結論から言えば、答えはノーです
実は、「自分の命がある」という認識がまちがいだったのです。
命は、あるのですが「自分の命」はないんです。
これまで漠然と抱いている価値観のとおり、「個別の命」が存在して生物にその命が「宿る」のであれば
それはいつ? どこで宿ったのでしょう。
胎児に命が宿っているなら、それは受精卵が子宮にくっついた瞬間に新しい命がやってきたのでしょうか?
だとしたら、受精卵は生きていないのでしょうか。
そんなことはありませんよね。
人のカタチをしていなくても、それは生きています。
では、その前の、精子と卵子が受精した瞬間に命が宿ったのでしょうか。
だとしたら、精子も卵子も生きていないことになります。
精子も卵子も生きています。
もっとさかのぼって、その精子や卵子を生成したお父さんやお母さんが「生きていない何か」だったこともないわけです。
つまり、ぼくたちが、なんとなく抱いていた「私の肉体に、私の命が宿っている」という考え方が間違いだったわけです。
本当は「個別の命が一人ひとりの肉体の中に宿っている」のではなく
「でっかい一つの命のなかに、たくさんの肉体がある」
のが本来の姿です。
僕もあなたも本当は「同じもの」なんです。
[ 「降参のススメ」安部敏郎・雲黒斎共著 より編集 ]
この時代、全てが1つ、・・・・ここが腑に落ちてることは大事かもですね