爽やかな朝でした

昨日の朝も自宅の庭にトンボが飛んでいました

今朝もぐんぐん飛んでいます

思わず庭に出ました

とっても速いし全くとまってくれず

映像の後半に右斜方向から

すばやく飛んでくるトンボが見えるでしょうか?

このときは二匹でそのあと五匹

匹でいいのか?知らんぷり

 

真っ黒にはっきりとした黄色がみえる

オニヤンマ?

トンボは昆虫のなかでも一番くらいに好きだけど

まったく詳しくない

 

水が近くにあるわけでもなく

住宅街なのですが‥

それでもこのあたりトンボがいないわけではないけれど

このタイプのトンボがうちに来たのははじめてだと思う

 

手をおそるおそるだしてみて

止まってもらおうかと思いましたが

そんなわけないか

あんだけ俊敏やし

でもスマホをむけていないと何をわかっているのか?

わりと近くまで飛んできてくれます

 

四万十の姉にトンボの飛ぶ庭の動画を送ったら

近所(高知)のトンボ公園の話になり

温暖化でトンボ公園には

インドネシア、フィリピンの南国のトンボが飛んでいるらしい

ということです

姉の家からトンボ公園までは

自転車でも行ける距離で以前遊びに行ったときに

早起きしてトンボ公園に姉と行った際に

池の前のベンチに座っていたら

カエルがよく鳴いていて

なんかその声のあまりのゲロゲロ ゲーさに

吹き出したことを思い出しました

 

は〜

四万十行きたい

四万十川を見たい

 

丸亀からもう少し(いやだいぶと)足を伸ばせば

高知は四万十(旧中村市)ですが

いまのところはこの夏に89歳になる

一人暮らしの父の顔を見に行く方が先決となります

 

 

 

 

 

一度花が枯れたレウィシア

もう咲かないのか?と思っていましたら

もう一度花がついてきました!!

こういうのって本当嬉しいです目がハート

 

多年草で、葉がすこし肉厚で艶っとして

多肉植物のようですがそうではないみたいです

オレゴン州からカルフォルニアの山地が原産の植物

なるほど日本ぽくない

今年はじめてJAでみつけましたニコニコ

 

 

それで今日はジストシネマではじまった
濱口監督の映画『悪は存在しない』
和歌山まで車を走らせて観てきました
 

 

 

 

映画館のなかでも

他の映画は大きなポスターがならんでいるのですが

この映画は小さいA4サイズの普通に配られるポスターのみの地味さでした

 

というのも広告、スポンサーが

どれだけついているかってことになるのでしょう

映画を観て尚更に納得

映画としての素晴らしさ

その内容にスポンサーがつくかっていうとまた違うのよね

いわゆる商業映画ではないってところ

なので全国、単館での上映が多いです

 

 

 

 

先に海外から上映されてすでにヴェネチア映画祭で賞を撮っている

前作3年前の『ドライブ・マイ・カー』は

主役が有名な俳優だったし原作が村上春樹という露出度があった

 

今回は全くそういうのがない

すごいわ

逆にすごいわ

たいてい有名な俳優さん使ったりするではないですか?

 

自分がやりたいことしかしない

この姿勢

きっぱりしている

なんのぶれもない

自分軸が半端ない

だからこういう映画が創れるんだろうなと思う

 

内容が、ストーリーがというよりも

ある意味、映像そのものに「凄み」を感じる

それは自分が信じること以外には1ミリたりとも動かない

濱口監督に

音楽、石橋英子さん

音楽、めっちゃ好みだ

このトーンの音が好きである

女性ってところもいい

こういう音を作る日本人の女性がいるってことは

女性として嬉しくなる

 

 

 

 

 

 

昨日たまたま超映画好きの友人とメールすることがあり

明日(今日)映画を見に行くのだけれど

どうだった?と聞いてみた

 

前作も友人から教えてもらって

同じ和歌山のジストシネマまで車を走らせたのだ

 

そしたら友人は

「この映画に関しては一言も発してない」

というから

お〜〜K子がいうならそういうことなんだわって思った

 

なんともね

映画のタイトルがどうしてこうなのか?

そう、とても理解できる

 

映画は終盤の劇的で緊張感のある展開に対して

これでエンドロールっすか

これで放り出す感じねという

鑑賞者に全く委ねられるタイプ

そう

かなりもやつくのよ笑

 

水曜日で1100円の日をねらった私ですが

全く満席なんか程遠い劇場でしたがそれなりにほつほつと観客もいて

上映終了後

確かにだれも一言も発していなかったわ

(まあ私のように一人の方もいらっしゃったけれど)

こんなとき、知らない人と一言交わしたくなる真顔

それくらいモヤっとする

 

渡された感じ

そうだ

 

タイトルのあとに

 

これは君の話しになる‥

 

 

友人のKと違って私は熱く語りたくなった

こんなときほど饒舌になって

「放り出された」ことに弁解したくなる

なんで弁解してんねんて感じだけれど

はいって手渡されたら

反動で何か語らずにはおれなくなる

黙ってはいれない

 

 

なんだろうか

人間ていうのは

「自分」がすることがそれぞれに正義であり

理屈の奥には

それぞれの感情というのもウエットに確実に存在している

生身の身体として

ちらっと見えていたものが

グロテクスに浮き彫りにされる

あの衝動(暴力性)はなんなんだろうか?

 

それぞれの正義が存在すれば

善悪という単純な二項対立は存在しない

「なにが正解かわからない」とはよく聞くことだ

そんな混沌のなかで私たちは生きている

 

「誰も間違ってはいない」

 

その人、その人の人生に立てば

「それ」しか選択できなかったことなのだ

 

そして究極的に思うこと

これ、言ったら終わりじゃんて持ち札

 

父親がちゃんと時間通りに約束を守っていたら?

その落ち度については

彼が人生をかけて償うのか

何ついて償うのか?

背負うのか?

その事実の方が私には辛いなと思った

そんな罪悪感

あ〜だから歴史は

人の罪に対する思いについてずっと問題にしてきたのか?

 

でも私はあえて思う

罪悪感は必要ないって(この映画が「罪悪感」でないとしても)

罪悪感や過去に対する過ちに対する自責の念は

持つべきじゃない

そうではないと

その感情はまた蓄積されて

同じ轍を踏むことになり

忘れるべきだと思う

 

そうだ誰も悪いわけではない

結局はそのループに入るのか!!

恐るべし濱口監督

 

看板持ち                        看板持ち

 

 

それでブログにつけたタイトル

『前を見ろ』

これは行きしなの道路脇の看板だ

携帯電話を見たりすることへの

「ながら運転」への啓発なんだろう

 

右斜方向の路肩から

『前を見ろ』という看板の字が

斜めに入ってきたのだひらめき

 

笑った

はじめ、その言い切りに笑えた

「前を見ろ」って泣き笑い

 

しかし人生とは

「前を見る」ことしかできないのだとも思った

まじめか?

そう、サマナ、変にまじめなのよ笑

こんな感じでドライブしていると

全く暇はしない

 

過去をくよくよすることも

ありもしない未来の不安におののくよりも

他者や周りの人を見るよりも

 

ただ前を見ろ!!

いけアキヨ

自分の道を行け

 

グラサン

 

 

 

 

それから行ってみたかった和歌山県立近代美術館へむかった

この映画のあとに行くべきところを見つけておいてよかった

車で10分くらい市内に戻る

和歌山城の真横に位置する

 

 

 

 

黒川紀章の建築らしい

 



 




それで行きたかったブックカフェにも足を運んだ

外のテラス席に出てみた

空間の使い方がいい

爽やかな風が本当にここちよかった

 

 


外国に行くとカフェやレストラン

テラス席に外人さんはよく、座っている


一人金髪のショートカットの白人女性が

身軽に緑色のビール瓶を持って

私と同じく外のテラス席にきた


これだけでストーリーが書けるか

彼女はどうしてここに来たのか?


10分前の美術館終了のアナウンス

彼女にはあの日本語は聞こえているのだろうか?



 

 

もってきたノートと

ポーチの中身

誰も知りたくないかって笑

上からつけもしないツヤツヤリップ

ここぞていつやねんここぞ用

茶色の細い瓶はラヴェンダーオイル

癒されること間違いない(夜勤から持ち歩くようになった)

「ラヴェンダーの女」と看護師に言われていたサマナだ笑

 

そして潤い用のリップが二本

ココナッツのハンドクリーム

その間に愛用のペン(ブルー)

飴ちゃん

(大阪のおばちゃんにしては一個は少ない)

バファリン二個

写真には写っていないが

猫の毛が二本

みーちゃんか?

それとペンドゥラム

この前、大阪は天満橋でしていた「石の展示会」?で購入したもの

インド、ムウバイから来たお店(ストーン屋)

なんと500円!!

世界から石の店が集結していたが

インドからのお店で一番はじけた私

やっぱりインドか!!

なんか落ち着くのだ

このときペンドゥラムをアホみたいに購入したので

またブログります

 

 

 

 

こちらのブックカフェは近所なら毎日来たい

 

ちなみに駐車場は2時間まで無料

展覧会も見たけど特記すべきことはない

 

アートにも蘊蓄したいけど

蘊蓄するほどがなかった笑

 

一枚の絵って

なんやろうね

陶器にしたって一つの作品てなんやろうね?

 

そんな漠然としたことを感じた

 

たとえば、わかりやすく

ピカソの絵は

ピカソの絵として見えるでしょう?

 

あまり知られていないけど

美術館がもつほどの作家さんの作品が

所狭し

 

そうなんだよ

展示の仕方で決まる

というか

結局は余白の部分

ストーリーを

人は欲しがるものなのか?と思った

 

 

あと、私は椅子の佇まいに興味がある