今日は蒸し暑い夏のような月曜日でした

明日から来るという台風の影響があるのか

気圧の変化は古傷の左膝が炎症を起こすのかハリ感がでます

 

そんな日ですが

ようやっと待ちに待った冷蔵庫が午前中に到着しまして

朝から片付けやら整理

いっそのことと

部屋の模様替えレイアウトを大幅に変えました!!

先だってサーモンピンクのソファを

処分しますブログを書きましたが(ちゃんと処分しました)

そこに新しい冷蔵庫

同じ部屋でも配置を変えるだけで気持ちもリフレッシュです

 

結婚してから一度も買い替えておらずの冷蔵庫

現在ではパナソニックとなっているのがナショナルでして

約25年使いました

3度の引越しにもたえました

よく動いてくれたと思います

 

8月?からは電気代も上がるということですし

暑くなる前にそしてもう流石に故障しだして

最後の数日は製氷を冷蔵に入れたりしていました

冷凍庫は最後まで大丈夫でした

ぎりでした、よかったです

 

 

 

 

 

先日、ヨーガ療法学会

ヴェーダーンタ協会のショップが出店されるということで

ボランティアに行っておりました

 

何度か物販のボランティアをしておりますが

(協会の本やインドの神様関係大好きなんだなぁと改めて思います)

今回の搬入は未だないくらいにへとへとに疲れましたが

全体にとても愉しく過ごさせてもらいました

 

 

 

 

 

会場は大阪国際会議場、ロイヤルホテルの横にあります

ここまでが来ることなく

「グランキューブ大阪」とは耳にすることはあったのですが

ここなんですね!!

大きな立派な施設でした

土曜日には池坊全国大会!!

おねーさま方がわんさといてはりまりました

 

よほどの用事がないと大阪市内には出てこないものですが

河のある大阪の景色はいいなぁと思います

 

 

 

 

私もずいぶん前になりますが

勉強させてもらい在籍しました日本ヨーガ療法学会の定例総会

在籍当時よりは大きな団体になっていて

この学会をひきいておられる木村先生の望まれるところまでに

なったのではないかという感触

ポスター発表をちらっと見させてもらいまいましたが

内容がガラッとかわり急激に進歩されたのだなぁと

数値化されるエビデンス重視の西洋医学のなかで

どのように「ヨーガ」をヨーガ療法として確立させるのか‥

その結晶のようなものを拝見いたしました

 

そのあたり、とても興味深いものはありますが

かなり学術的でそれはそれですごいことだと思うのですが

ただ知識欲を満足させつつ左脳偏重でなんだか体感もなく

西洋医学のなかで

なんとか認めてもらおうとすりよっている

ようにしか見えない

すごいディスっているようにも聞こえますが

今回の(終末期の)緩和ケアというテーマ

 

私の母が末期癌で亡くなったころには

まだまだこの言葉はない時代でしたし

ホスピスさえほぼないに等しかったです

 

母59歳を私が当時28歳で亡くしたこと

在宅での看取りの期間も最期にはあったこと

当時はまったくヨーガの知識もたまさかヴェーダンタ哲学も

スピリチュアルな観点も

魂も輪廻も転生も全く知らなかった(言葉はもちろん知っていたけど)

 

「死んだら終わり」という唯物観の塊であったからこそ

「悲しみ」と「苦しみ」しかなかった自分が

母の末期の看取りと死を経験することで

この道に入った自分のモチベーションをあらたに

今回、ヴェーダーンタの立場から鑑みて

感慨深いことでもあります

今の私ならと思います

そのためにやっぱりこの道にきたのだと思います

 

20年近く大学病院の医局秘書から医療事務をしていたこと

白い巨塔的現実を見たり経験したり

医療ピラミッドの最下層にいて思ったこと

特に最後のちょうどコロナ禍の4年間のすっぽり入った

救急外来の夜間の仕事

これはまさにアウトカーストでした(いや、まじで)

 

西洋医学の末端からの局面を見てきて

どれだけ統合医療というものが

程遠い現実かもよく知っているつもりです

まあそれでもすこしずつへ変化があるのでしょうね

それはそれで素晴らしいことだと思います

 

コロナ騒動自体が西洋医学のある種の限界を象徴的な形で

究極に現しているなと思ったのですが

これからの医療は西洋医学にお任せの時代やないと思うし

もちろん西洋医学を否定するわけではなくて

もっと違う医療があるはずです

 

病気になる肉体を

「病名」とは縁のない肉体にしたいし

(西洋医学は診断名という病名ありきです)

 

かならず死に向かう肉体を

魂の、うちなる自己の、もしくはうちなる神と

むすぎつけるのか

いかに生きるのかが

いかに死ぬのかに繋がること

他者にだけまかせるのでない

自己への意識、体感

 

スピリチュアル、霊性というのは

まさに今世では必ず死ぬだということと

この死は悲しいだけの死ではないこと

魂は普遍であること

 

あのときのたたただ悲しく苦しかった自分に

あのときの死に行く病床の母に

いっぱい話しかけたいです

あなたの人生は素晴らしいものだったと

そして誰の人生も誰に比較することもなく素晴らしいもので

何も悔いることもないことを

何もなくなりはしないことを

このジャッジの世界から解放されることを

 

 

 

 

ヨーガ療法は西洋医学の現場にヨーガをもっていくのに

宗教性を全く排除するのですが

(端的にマントラの排除)

「ヴェーダ瞑想」というキーワードはたくさんありました

心理的、精神的側面からのサポートということが一番にあるのでしょう

それにしてもヨーガからスピリチャアリティーをとってしまえば

味気のないもんだなぁという感触

それはマインドフルネスの宗教性を排除したうえでというのと同じだなぁと

それでもこれって西欧人の

ガチガチのクリスチャンの人のためにいうていることであって

本来とってもスピリチュアルな国民性のある日本人に

これを除いてしまっては

なんてカスカスになってしまうのだろうと

西洋にこびることない東洋のヨーガであってほしいと

 

そして自分が「ヒーリング」を勉強したことも

ハンズオン・ヒーリングは近代の西欧に神智学の影響で

もちろんにヨーガの身体觀(チャクラ)がはいっていくるのですが

ほんとうにヨーガにしろ

ヒーリングにしろ

なんら自分の中ではその「スピリチャリティー」(本質的な)

ということでは一緒、同じなんだなぁという自己理解

 

これをどう展開していくかですね

というかもうはじまっているのですが

もっとわかりやすい形にすべきなんだなぁと

国際会議場につりさがっていた

お猿子のように

伸びている

わたし

伸びているサマナなのよ〜〜