3月のhealing-samana YOGAスケジュール

 

 

 毎月新月にオンライン開催しているヨガ・メディテーション

新月前日の宇宙全体がシヴァ神の神聖な波動に満たされるという

マハーシヴァラートリの夜に行うことにしました

創造・維持・変容という宇宙のサイクルで

変容のダイナミックなエネルギーを司る

破壊と再生の神であるシヴァ神

 

 満月から14日目に

シヴァラートリ(ラートリ=夜)はあるそうです

今月のシヴァラートリがマハー(偉大な)のつくパワフルな夜

(インドでは8日、日本時間では9日)

マクロコスモスの大きな変容のエネルギー、その波動を

この絶好のタイミングで参加者=ミクロコスモス

それぞれの自己の本質に、その霊性さのなかで

意識的に坐ることができたらと思っています

 

 

 

マハーシヴァラートリに関して

とても興味深い記事をシータラーマさんのブログで

↓にリンクしています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シータラーマさんの「うちなる変容への神聖な旅」

この文言にやられました!!

 

 

これすごい↑シヴァの108の名が書かれていますし

108という数字の意味が書かれています

煩悩の数という日本仏教の一般的な理解ではなくて

108とは吉祥の数であるとは聞いたことがありましたが

なんと宇宙としかも月と地球の距離に関係する数字でもあるとは!!

(ブログ書いているときにアップされました)

 

 

そして本日は三月三日

今年は何年ぶりかに

お雛様とおだいりさまをおだししました

 

 

 

三姉妹ですので

母方の祖父母が七段飾りを用意してくれました

記憶では自分が幼稚園生の頃に

当時住んでいた団地に飾ってあったこと

なので50年くらい前かと思っていました

インスタにその写真をあげて

いったいいつからお雛様が自宅にあるのか?と

古いアルバムを見ていますと

私が生まれた年の

桃の節句に五段飾りのお雛さんの前で

可愛い姉の姿がありました

場所は父の里の丸亀です

 

ということは私の歳だけいらっしゃるということに

この歳で気づきました

ええ、55歳です!!

二番目も女の子だということで

母方が祖父母が用意した模様

私は1月生まれなので

三月三日にあわせたのだと思われます

 

それではじめてアルバムのなかに

お雛様がでてきた写真の近くに気になる一枚の写真を見つけました

たいてい今まではスルーしていたはずです

それが自分であることはわかっていながらも

気にもとめなかった写真です

 

母方の祖母が和装で私を大事そうに抱いています

その場所がおそらく宇高連絡船の中だと思うのです

もの心ついたときには

こんな綺麗で豪華な座席には座ったことがない宇高連絡船です

(瀬戸大橋の以前の四国と本州をつなぐ宇野港と高松港を結ぶ船)

絶対そうです

実家で出産するため帰省していた母(当時としては高齢出産だったのか?)は

高松の赤十字病院で私を産みました

母方の実家(香川県・綾歌郡)から大阪に帰る時に

同行したときの祖母なのではないかと思われます

 

おひなさんの写真を探しながらも

宇高連絡船のなかで私を抱っこしてくれている祖母

この一枚の写真がこれほど心をとらえたことは今まで一度もありませんでした

写真が趣味だった父(今でも)が写したものです

きっとあとで私が譲り受けることになるペンタックス一眼レフ

この一枚の写真については

宇高連絡船のことを最近よくおもいだしてもいたので

また書いてみたいと思います

 

 

 

 

何度かブログに書いたことがあるとは思うのですが

意外かと思われるかどうかわかりませんが

お人形が大好きな女の子でした(今でも好き!)

あとは

リボン結びをどうしたら美しく結べるのか?

に心をくだいた幼少期です

 

幼稚園では将来なりたい職業に

「お嫁さん」って言ったくらいですから

二十代ではフェミにも偏った時期もある自分からしたら

「お嫁さん」は職業やないしっありえない!!て

息巻いていたのかもしれませんが

きっとお嫁さんと言ったのは

あのお姿に憧れただけなのかもしれません

しかし結婚する時には和装だけは無理だと思ったのですから

人とはなんぼか変化するものです

めちゃくちゃわかりやすい女の子的なものが好きかと思えば

女性の権利を考えたり(なんの活動もしてまへん)

 

あっまた話がはずれていってますが

そういう類のことはよく覚えているのですが

 

これが当時住んでいた団地の六畳間に飾られていたとき

それは三姉妹の寝室でもありました

七段かざりは六畳間をほぼ占領する勢いです

他に家具もありますからね

そこでどうやって寝ていたのか?は覚えていません

 

今朝、家族のグループラインに写真をあげました

さっそく妹が

 

「ドラえもんとかいって押し入れで楽しく寝てたやん」

 

そうだったのか!?

押し入れでドラえもんとか言って楽しく寝てたのね!笑

お雛様にかかわらず幼少時の記憶というものが

三姉妹の中で一番欠落している自分です

 

姉も遅れてラインがきます

 

「(押し入れを)ベッドって言うて楽しく寝てた懐かしいな」

 

 

そうですね確かに

もう「ごっこ」大好きでしたからね

子供の頃といえば「ごっこ」遊びにいのちをかけていました

想像力が満開です

 

当時は花型だった百貨店のエレベーターガールになりたければ

カレンダーの数字を押したらなれてましたらかね

英語が喋れることも

最大級の憧れでした

わからんなりに創造英語をまくしたててましたね

 

あ〜ドキドキ「ごっこ遊び」に関しても一つブログが書けそうです

東京の従兄弟と作った秘密結社なんて最高ですよ

手帳がありましたからね

ほんま帰省が楽しみでした

 

出勤途中の電車の中で読んでおられる方

こらえるか、こらえずむひむひ笑ってしまってくださいませ

 

 

しかしこの写真を少しおおきくなって

十代、いや下手したら二十代まで

我ながらなんて不細工な歯抜け野郎!(女の子やけど)

そのうえ何が楽しくて笑っていやがると

ほんとうに憎たらしく思った自分でした

今ならこの時の自分を「可愛いね」って言ってあげます

なんと悲しいかな

まあ昭和という時代もあるのでしょうが

私は「可愛いね」って言われた記憶がないのです

母は本当に誰かれも褒めない人でもありましたし

この一言さえあればもっと幸せな幼少期があったように思います

 

妹が可愛くてみんなから好かれていて

とってもひにくれていましたし

外に出るのが怖い(人間が怖い)超繊細さんでもありました

姉からはきっとこの市松人形も

「これは私がもらったものやから」とさらっと言われて

悔しい思いで泣いたこともあったと思います

三姉妹のなかで一番よく泣いていました

言語化できないからですよね笑

大人になるとはある意味言語化という武器をえたとも言えます

 

誰から買ってもらったとかそういうことで悔しく泣いているのではなくて

姉よりも誰よりもこのお人形さんのことが大好きなのに

人形ふくめて私のことを全く無視している姉が

私が大事にしているものに対して

自分の専有権を主張してくることに悲しくなった涙でしょう

成仏や〜笑

 

姉は大人になり

私の(存在)記憶がないということを

笑いながら平気で言うなかなかに酷い方です

姉も自分が子供を持つようになって

やっとそれがあんまりいいことでないということは

わかったようです

 

さらに大人になればわかることは

三姉妹の真ん中で妹とは年子

母を独占した記憶がないからなのでしょう

精神的情緒的不安定さが

世界に対する極度の緊張や不安に拍車をかけました

 

姉が下の子供の面倒を見るように育てればよかったのに

これは姉自身も言っています

(のちに姉が子供をもち、そして小学生の補助教員の仕事をするようになり、いかに姉が子供と接することに向いているかいうことを考えれば、母は姉に対して全く間違った見解をもっていたといえます。母は姉のことを何もできない子だから、下の妹たちのことまでみれないというレッテルを貼り付けたのです。長女も大変ですね、母親の思い込みが強くでます。下の妹の面倒をみてこそ姉が成長するのにね。ちなみに母は次女です)

 

妹とは年子で母は先に書きましたように

姉を一人っ子のように育て

高校生までは妹とふたりっこで育ちました

いや、まじで

高校生のときにはじめて姉と話した感じです

でも姉とは趣味(読書・イギリス好き)があい

二回目の海外は二人憧れのロンドンに旅行したりもしています

 

 

 

 

妹(中央)の前髪はそろっているのに

私の前髪がぎざぎざなのは

当時流行りのファッションではなくって

妹いわく、母が髪をカットする際

私が嫌がってじっとしていなくて

ぎざぎざになっていたそうです

 

「あきちゃんじっとしていなくて困るのよ

変な前髪になったってかずちゃん言っちゃダメよ」って

妹は母から釘をさされていたそうです

今でもそのことを嬉しそうに語る妹なので

きっと子供当時も母にダメ出しされながらも

わたしに言ったのではないでしょうか

そしてわたしはまた泣くのです

 

当時はシャンプーハットなどもあり

髪の毛も洗われるの嫌いやったなぁ〜

ほんまなんでやろうね笑

 

今なら笑える話ばかり

母も仏壇からでてきそうやわ

南無阿弥陀仏

唱えとこう

 

そして当時団地で飼っていたインコの写真がでてきました

2階のベランダって飼っていたインコが

猫にやられたって

聞いて

それからはずっと猫が嫌いだったのに

今では猫愛がはんぱない!!

 

昔を懐かしむ桃の節句でした