新年、2024年を迎えております

healing_samanaのブログに

ご訪問ありがとうございますスター

 

星本年もどうぞよろしくお願いします星

 

 

みなさまはどのように

すごされていらっしゃいますでしょうか?

新年早々の地震で

祝いの気分が一瞬で消え去り

気持ちがどんと固くなってしまいました

ほんとうにどういう言葉を伝えたらいいのか

体裁も取れず途方もないのが正直なところ

苦しみと不安が少しでも減りますように

今朝のヴェーダーンタ協会からの

本日のメッセージでお伝えいたします

 

 

 

一つの松明から何千人の人が灯しびをうけとっても

その松明はもとのとおりであるように

幸福はいくら分け与えても

減るということがない

 

 

gautamabudda

 

 

 

 

 

 

31日の2023年のお礼参りの氏神様は

新年にむけて準備されていました

いつも詣られている方だとは思うのですが

たくさんの方が記帳されていました

 

 

世の中一般的な年内カウントダウンとともに

4年間の仕事に終止符を心の中で

一人カウントダウン

普通のお仕事であれば年末の28日とかに

お仕事納めがあったりするのでしょうが

この仕事は365日

とくに職員さんの日勤帯の休みの日が

一番の活躍時、仕事があるときとなります

 

2023年から2024年をまたぐ

晦日の晩は宿直勤務でした

先に休憩に入らせてもらい

仮眠中に年をまたいでおりました

 

思えばこの仕事をはじめた

2019年の晦日も宿直で

超絶忙しくて仮眠は入れず

バタバタ仕事しながら新年を迎えたことを覚えています

 

4年経ちまして

どこでも寝れない方(神経質、繊細)だったのですが

おかげさまでおのずと

鍛えられ神経が図太くなり

(神の路が太くなるからいいことだよね笑)

 

新年はここでまんじりと明けようかという

繊細さん的思いは一瞬でもあったのですが

仮眠するようあてがわれていて

決して仮眠室ではない部屋で

いつものようにソファを倒して布団敷いて

東むいて壁にむかって瞑想(ジャパ)するので

そのルーティンを終えたらなんの躊躇いもなく

ころっと横になり

繊細さんはどこかに飛んでいき…寝てた

 

電話のコール音、相棒が忙しくしている音

下の階にある薬局から薬があがってくる音が聞こえなくもない

バタバタ動いている救急外来の音が聞こえようと

というかこういう音をいちいち拾っていたのですが

いつのまにか、扉を閉めたらその向こう側の世界が

あんまり耳に届かなくなったの!!

外界の世界との在り方も学んだ気がする

 

コロナ禍を通して四年でどんな環境でも

爆眠(バクミン)神経と出来上がり

そうでないとやっていけないと言うこともあるし

警備のおやっさんが以前

「寝るのも仕事やで」言うてたことがその通りで

仮眠をちゃんと取らないと体力気力が続かないの

 

なんの感慨もなくiPhoneのいつものめざましで

ぬくっと起きて交代

引き継ぎ事項を聞いて

しばらくして新年の挨拶

あけおめじゃ

ハロー2024年、あと5時間半働きます

 

 

 

 

同僚のみんなから

送別の品と花束もらった!!

嬉しい!!

 

 

 

ほんまにありがたい

このセンス

フランスの香水!!

リーダーの唯一の男性のセレクト

送別の品に関しては

プレゼンまでしてくれたのよ!!笑

 

そしてハリオのガラスのティーポット

ハーブティー用に欲しかった

紙の花を作る方もいるの!すごいの!!

そして花束

年末の忙しいときに用意してくれただけでも嬉しい

 

 

この人たちと一緒だったからほんとうに働けたと

改めて思った

かけがえない経験

 

「終わりよければすべてよし」

 

先人はよく言ったものだ

前職を辞める時の格言は

 

「たつ鳥跡を濁さず」

 

 

スタッフの中で一番若く同時期からを共にした

同僚から最後の言葉がおもいもしない言葉であり

この仕事のおもてには出ない過酷さを象徴もしていた

 

「同志ですからね!!」

 

 

ほんとにその言葉にこの四年間を共にした

一言が凝縮されていた

 

戦友的な意味あい

 

みんなに惜しまれて残念がってもらえて

ようやっとやってきた仕事が報われたかんじ

わたしが私に素直に言う

褒めちゃう

 

「よかったやん」

「ようやったよ」

 

 

 

 

 

 

あまり声をかけてなかったのだけど

辞めると聞いた看護師さんからは入浴剤セットもらった!

ありがたい

年末に退職する人もいらっしゃって職種は違えど

別れを惜しむ

 

自分が退職することで

こんなふうに惜しんでくれる方がいるんだと改めて嬉しい気持ち

 

夜勤明けにキリコにお雑煮作ってもらって

美味しくいただいて

(亡き義母のお雑煮おいしかったと毎年思う)

炬燵で横になっていたときふと思い出した

 

うちの亡き母も

近所の大学病院が創立されたときから

引っ越してきてすぐに勤め出した

(私は小学3年生だった)

図書館(司書)のパートの仕事を退職したとき

いろいろプレゼントされたり

人から惜しまれたりしてたなぁとおもいだされた

そんな母を思い出したのは

お花やプレゼントされた物を

母に自慢するように仏前にお供えする動作の際だった

 

子供の時から

誰かから何かをいただいたり

嬉しいことがあったらまず母に報告していたものだ

母に自慢したい気持ち

そんな気持ちだった

そういう気持ちは久しぶりだった

 

私が医療事務の仕事をするようになったのも

(社会的に生きていけるようにしてくれたのは実は母だったとも言える)

母が大学病院で働いていたからだ

 

あれは母が何歳だったのか?

そういえば私は当初医局秘書のバイトをしていて

母が退職の挨拶に各医局を回っていたとき

私は医局の中から戸口で挨拶する母を見ていた記憶も蘇った

あの制服で母がどんなふうに挨拶していたか

少し恥ずかしい気持ちでそんな母を見ていたことが

ありありと蘇ったのだ

それが自分が退職するのに挨拶する自分と重なった

 

あの年は確か阪神淡路の震災があった年か前の年だ

2年しか私は医局にはいなかった

母は何歳だったのか?

 

1995年が震災の年だ

私は26歳だから

母は56歳か

母の時はパートでも退職の年齢があったので

55歳だったはずだ

ということは今の私と同じ年に退職していた!!

では震災の前年だったということなのかな?

 

はからずも母が退職した年齢で自分も退職し

その年か次の年かはわからないけれど

元旦からの能登の地震が

阪神大震災とも重なる

 

 

 

 

 

お雑煮はすましに丸餅に

「すべて角がなくね」と

キリコがにんじんと里芋をまあるくしてくれた

 

雑煮には自分には蘊蓄があって

というかいつも語るストーリーがある

両親が讃岐で雑煮が白味噌にあん餅を入れる

それが

私は子供の時から苦手だった

というか困ったことにつきたての餅が苦手という

厄介さがあった

こういうところからすでに「ハレ」の日さえ

ハレとして受け入れることができない生きづらさがあった

しかし縁起物、渋々食べていた

(家族はみんなあん餅1個になしを一つとかリクエストする声が聞こえる)

 

高校生で世の中全ての人が

この雑煮を食べているわけではないことを知り

驚いた

少し世界が広がったのだ

いっそうに家の雑煮が奇異に見えた

挙句に友人にうちの雑煮は白味噌にあん餅だというと

気持ち悪いという輩までいて気を悪くした

 

大学の時に「言語学」の授業で

柳田國男のカタツムリ考を学んだ際

(言葉というのは都市部より遠く離れた周辺に古い言語が残るというやつ)

言葉だけでなくて

日本全国のお雑煮分布図みたいなのが出てきたのだ

 

またまたティーンの自分は驚愕した

讃岐のその特殊さに驚愕した

下宿から帰ってきて

精神的な自立の声だ

文明開花の声よろしく革新の

 

「餅なしで!」とはっきりママンに言ったのだ

 

ママンはもちろん「どうして?」

いいえ、おかあはん、いらんねん

嫌いやねん

 

結婚して

角餅のすましの雑煮が自分の好みと知った

あっさりが基本の好みだ

うどん県の里を持つが、断然そば派だ

(東京の伯母が連れて行ってくれた深大寺のそばで開眼した)

外の世界に出ないと知らないことは多いのだ

 

 

キリコの両親は九州(奄美大島と知覧)の方で

義母が作る雑煮が美味しかった

 

それで今年初めてつきたての餅を餅屋で買ってみた

それがこの丸餅

美味しかった

つきたての餅が美味しいなんて初めて思った

ようやっと明世は成長したのだ

55歳を手前にして(1月誕生日)

長い道だった

餅が初めて美味しいと感じた

日本に初めて上陸した気がした

 

 

 

 

 

 

今年の手帳はここ10年くらい高橋手帳を使っていましたけれど

2024年からの新しい自分に向けて

糸井重里さんのほぼ日手帳にした

糸井さんの昔、ゲームデザインをしていたらしく

それを手帳に

私はゲームを全く知らんのだけど

子供の時からゲーマーのキリコは知ってました

 

「MOTHERやん!」って

 

「知ってるん?」

 

母なる地球

母なる大地

 

どうか畏怖の心で

どうかどうか鎮まりたまえと

 

その声を上げれば

「静まるべきはまず人間だ」と

MOTHERから声が帰ってきました

 

畏敬の祈りを大地に

弔いの祈りを大地に

人々に

 

 

 

 

 

 

 

正月二日目の質素な我が家の朝の食卓

雑煮は角餅に白味噌に代わりました

 

黒まめはまさかのスーパーものです笑

苺ちゃんはキリコが無償で単発の家庭教師

お母様から頂いた河南町のもの

(無償にしたら余計気を使わせるからお代をもらいなはれ)

だけどありがたく頂いた

めちゃくちゃ美味しい

ていうか、キリコはん、普段イチゴ食べないやん?

キウイは友人からの頂き物

果物って天国

もちろん、板わさも美味しいのだ

 

 

最後の宿直弁当

義父から頂いたお節を入れただけ

最後のお勤めもあと数時間

パチパチ打ってる

 

 

今日の朝焼け

警備のおっちゃんが

呼んでくれた

5分ともたないと…

 

 

 

色は微妙に違うねんけど

こんな鮮やかではなくiPhoneでは撮りきれない

おっちゃんの息子さん、奥さんの

能登の実家に帰っていて動けないということと

その惨状を前日に聞いていた

 

いつもほんまにしょうもないことしかいわへん

おっちゃんがいう一言がいい

 

 

「希望のあかや」

 

 

 

夜勤最後の朝におっちゃんは外の見えない場所から

わたしを呼んでくれて

絶景の朝日をプレゼントしてくれたのだ

 

 

 

MOTHERは

ときに震え上がる苦しみを与えてくださり

そして

何より最高の贈り物をくださるのだ