本日、インドでは満月

ブッダ降誕祭(ブッダ・プールニマー)を迎えるということ

このタイミングで初インド

現地(南インド)のおまつりごとに参加して

満月を仰みたことが自分にとって

この「道」のスタートでもあり

印象づける経験であったので

毎年この日を迎えることに感慨があります

 

今年はまた新たな?発見がありました

東南アジアではヴェーサーカのお祭りは各国の太陰暦で行われるそうで

今年1月にミャンマーのお寺に戻ったお坊様が

日本滞在中にできた奥河内のお寺の瞑想会のグループLINEに

 

「ケソン月の満月ウポーサタがあり、仏陀が誕生され、成道され、入滅された日として祝日になっています。この日は菩提樹に水をあげることで、仏陀を偲ぶ習慣があり‥」

 

「日本では仏陀を対象にして供養礼拝を日常的にしている人は何人いらっしゃるでしょうか?」

 

 

なるほど確かに日本ではブッダ生誕を祝う

4月8日の花まつりくらいで

仏陀自体を御本尊として崇める

讃える祭り事なり習慣がないなぁ〜と思っていたのです

(お不動尊(不動明王)は28日に護摩があったりしますけど)

 

 

ふとですね

そういえばそうだなぁ〜と坐っていてですね

目の前に‥

 

 

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じぶん祭壇なんですけど↑↑

撮ってみました

毎朝夕こちらの前に坐るのですが

(夜勤や旅行のときは無理やけどね)

その度に蝋燭をともし、お線香をあげるのです

いや、笑っている場合やないかもしれませんが

自分にとってはあまり特別のことでもなく

日常のお勤めだし

瞑想に入る前のルーティーンとして

この仏像の前に坐る、蝋燭をともす、お線香をあげる

(チャンティングは最近ずっとしていない、以前は般若心経を唱えていたが、

していたことをやめるのは良くないとおもうのだけど‥)

 

この仏像は8年くらい前になるのか?

父とアンコール遺跡に旅行した際にシェムリアップにある

「アーティザン・アンコール」という

カンボジアの若い人の職業訓練目的のギャラリーショップ

ひらたくいうとお土産物屋さんで購入した

もちろん入魂されていない仏像です

 

左のお膝の上にのせているのは

それより前の2012年にインド旅行したとき(サールナートも訪れた)

え〜〜と、なんという名前やったかな?

あそこやん、あそこ、でっかいお城、なんやったけ?

ラ がついていたような笑

あかんでてこん

大阪城みたいなもんかと解釈したとこで(笑)

お土産ものストリートの出店が立ち並んでおり

10個で100ドルだったか

大阪人のサガで値段だけは忘れへんねんけど

真鍮でできた小さい神々の像(サラスワティー、ガネーシャなど)のなかで

ブッダ像もあったのでそれを選んでいて

それをいつだったかお膝にのせてしまった

あと、お珠はなにかっていうと

これもずいぶん前に京都のお数珠やさんで

友人が作るはずでついていってまさかに友人がつくらず

私がつくってもうたっていうあるある?

それでつくらはるお方が(ようわからんけどサイキックな感じの男性)

選んだのが、このラリマーに水晶

2回目にいったときもラリマーにハリ水晶

このお数珠もとうとう使わなくなり

高価なラリマーだけ残していた

二つあったんだけど

いつのまにかラリマー一つを

このブッダさまにお預かりしてもらっている感じ

意味不明かもしれませんが、そんな感じです

 

というわけで自分は

日常的にブッダに手を合わせている数少ない日本人在家者ってことなのかな〜

て改めて気づいたってこと

なんか自慢しているみたいな感じになると嫌やけど

こんだけ書いておいて

まあそんな無意味な謙虚さもいらんかな〜

(もうそのあたりどうでもよくなっている)

 

 

それで昔のじぶんブログに

2008年のインドでのブッダ降誕祭について書いている

結構長くて自分でさえ読み切らんかったけど

ご興味を持たれた方は適当にスクロールしておつきあいください

 

それでもう一つ

ブッダへ繋がる流れがあって

はやくも一ヶ月くらい経ったことで鮮度は落ちているのですが

友人が奈良に実家があり帰省の際

うちに遊びにきてもらったあとのやりとりで

 

友人がヘルマン・ヘッセがすきで

「シッダールタ」が特に好きなのだと

それでこんな言葉をくれたのだ

(私がヒーリングにしてもヨガにしても師というものから離れていくということ云々かんぬんの流れから)

 

求道からシッダールタはいろいろなグルの元を修行するんだけれど、結局彼が最後に得られた学びは「川」で‥

 

明世ちゃんは、存在そのものが完璧なんだよ。サイズに合わない靴は履かなくていいだんと思う。

 

ふとシッダールタを思い出しました

 

あなたはあなたをすでにしっている、かんじ?

 

 

 

こんな嬉しい言葉があるだろうか?

ありがたいにもほどがある

自慢だ、自慢にしていいと思う

いやなことしんどいことはそれなりにあり

自分が選択したことにもう何の迷いもない時であったが

友人の言葉により救われた

あげくにこの友人は

私と会うことは彼女にとって「褒美」なのだといってくれる

これ以上に嬉しいことはない

私こそ「褒美」をいただいた

友人の言葉という「ご褒美」だ

 

 

 

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おもわずまた本棚からだしてきた

古い新潮文庫だ

友人が「シッダールタ」をふと思い出したのだ

どこにも属さない一僧侶をあらわす「沙門」であったゴータマ・シッダールタ

「沙門」とはパーリ語でsamanaである

そうなの

もっと鳥肌がたつのは

私が2012年ヨガクラスをするさいの

ネーミングとしてこの友人に

いくつかのサンスクリットの候補をあげてもらった

当時は何の意味もしらずに音と字面だけで選んだ

この意味について知るのはかなり後であった

(ブログでも何度か書いてきたが)

samanaがまさかに

この手元にこの友人を通して

「シッダールタ」として手もとに帰ってきた

友人によっていただいたsamana

そして同じ友人によってsamana、沙門であった

シッダールタがヘッセを通してかえってくる

これほどの輪があるだろうか?

先に書いたミャンマーのパオ派の寺で修行している

お方だけ唯一、私が名乗るsamanaについて

あれはあなたですか?と

声をかけてくれて

「いいですね」と云ってくれた方でもある

 

 

そしてヘッセにもどろう

『シッダールタ』については以前このブログにもかいたのだけど

今回はヘッセのインド、東洋との関わりについて新たな再発見があった

 

ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)は

ゴータマ・シッダールタを題材にして書いた

「SIDDHARTHA」を書いたのは1922年

 

「ヘルマン・ヘッセの生涯と作品」市川温子氏の論文(愛知大学)が

ネットの検索ででてきた

インドとの繋がりで気になるところは

ヘッセが生きた期間は19世紀後半から20世紀で

戦中戦後を生きたドイツ人であったこと

ノーベル賞を受賞後

1946年にゲーテ賞をとり

ようやっと本国ドイツから認められた作家でもある

(戦中はナチからの妨害があった)

戦後に書いた政治的エッセイ「戦争と平和」は

ロマン・ロランに捧げて書いたそうだ

ロマン・ロランといえば

シュリー・ラーマクリシュナとスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの本を書いたし

ヘッセもこのインドの聖者のことを知っていたのか?

気になるところである

 

ヘルマン・ヘッセの両親ともにインドに住んだことがあるし

母方の祖父グンデルトはインドの言語を習得し

マラヤラム語の研究者としてマラヤラム語辞典を編纂し

現在でも重要な辞典であり

インドからドイツに帰ってからも研究を続けて

マラヤーラム語のはじめて文法書をつくりケララ州には

祖父の銅像が立っている!!というから全くおどろきである

ヘッセの言葉によると

 

母も長い間インドにいたので、マラヤラム語やカナラ語で話した り歌ったりした、魔術的な外国語で老いた父と話し合っていた。祖 父のように、母も時として異国の微笑、知恵を含んだ微笑をたたえ ることがあった。 (ヘッセへの誘い S343)

 

そしてこの祖父の孫、ヘッセの甥にあたる

ヴィルヘルム・グンデルトは日本にいたことがあるらしい

旧制水戸高校のドイツ語の講師として滞在し神道を研究したとある!

 

それでもっと興味深いのは

この論文の最後に書いている

 

ナグもヘッセとの友情を「私たちの時代に生じた、東洋と西洋とのかけ橋」と呼 んでいる。ヘッセは自身一番キリスト教に近いと言いながらも、その仏教や東洋 精神への理解と洞察は最も東洋的であるといえる。その意味でヘッセは西洋と東 洋の文化の融合に貢献した、優れて先駆的な代表者といえるであろう。

 

 

ナグとはインドの歴史家

彼との友情は「東洋と西洋のかけ橋」といわしめた

「キリスト教に近」く東洋的な精神性をもったヘルマン・ヘッセ

私が十代で出会い一番好きな作家であったヘッセは

(一番の愛読書は「デミアン」だった)

すでに東洋と西洋への繋がりを示唆する作家でもあったのかと

胸が躍る!!

 

 

ヴィルヘルム・グンデルトの言葉によると、フランス人の占い女が、ヘッセに ついて何の予備知識もなしにヘッセを相してこういったそうである。あなたはこのヨーロッパでは他国人(stranger)です。あなたの前 生はヒマラヤ山中の隠遁者で、峨々たる岩石の間に住み、緑の牧場 や美しい花などを愛していた方だったのですから。

(ヘッセ S132)

 

 

西洋ではヘッセは「ストレンジャー」(異邦人?)だと云った

フランス人の占い師が云った前世がそのままあまりに美しいし

想像してしまうので

もう一度引用したい

 

ヒマラヤ山中の隠遁者で、峨々たる岩石の間に住み、緑の牧場 や美しい花などを愛していた方だったのですから。