今読み返してみると
自分の文章に現れる初々しさが今では眩しいし
(なんと言ってもかなり低迷してますんで笑)
本の紹介として
なかなかいいところ書いてんじゃないか?って
自画自賛ですが思ったりします
イケてない現在の自分なので笑
過去からの自分に励まされます〜
(わらわら‥と笑も藁ももすがる感じ)
ところで
三木氏が繰り広げる
小宇宙(ミクロコスモス)という人間(ヒト)のからだに
どれだけの大宇宙(マクロコスモス)という
生命(いのち)の歴史、進化
その変遷がすっぽりとおさまっているか!!
神秘とは遠いところにあるのでもなく
誰かに示唆してもらうのでも提示されるものでもなくて
そうして想像の世界やあちら側にある世界でもなく
手に触れれることができること
もしくは実質
実体として実在として
私たちのこの「からだ」こそが神秘であり
宇宙なわけです
いのちの変遷が詰め込まれた
おかーたまという母体から生み出された
この自分のからだ
このからだにこそ宇宙の神秘
いのちの神秘と歴史が刻まれている!!
小宇宙に大宇宙を見る
大宇宙に小宇宙を見るという対応関係は
東洋では
古来インド(ヴェーダ)からある考え方ですし
西洋では
エメラルド・タブレットに書かれた
アルケミー(日本では「錬金術」と訳されていますが)
の根幹となす思想でもあります
wikiの和訳(アイザック・ニュートンの英文からの和訳)
文章をここに引用します
下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくであり、それは唯一のものの奇蹟を果たすためである。
万象は一者の観照によって一者に由って起こり来たれるのであるから、万象は一つのものから適応によって生じたのである。
太陽はその父、月はその母、風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である。
全世界におけるあらゆる完成の父はここにある。
本当は「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとく」だけを引用しようと思ったのですが
なんと、このあと!!
初めて読んで愕然としたので
もう少しだけ一緒に引用しておきました
万象は一者の観照によって一者に由って起こり
この一言って
サーンキャの(ヨーガを含むインド六派哲学の一番古い学派)
宇宙創生論とこれまた呼応しませんか!?
一者の観照とは
サーンキャでは
まさに「一者」とは「見るもの」「プルシャ」であり
「プルシャ」が見る「観照する」から
万象=プラクリティーが展開していく!!
同じですから!!
(図解展開で見るとわかりやすいのでどうぞ先のサーンキャにリンクしましたwikiの
25の展開図をご覧くだされ、この展開図だけでこの人生やっていけるくらいです。あっ孤島に
一冊の本であればこの展開図だけ持っていきます!!もっというと瞑想とは展開されたこの図で言うと下から上に瞑想の「対象」を向けていくことになり最後にプルシャに吸収され「見るもの」そのものと合一すれば(ヨーガ)、「対象」のない瞑想が完成し、カイヴァリャ(独立位の存在)となり、二元を超えた肉体を完璧に捨てた解脱(モークシャ)、意識のみプルシャの存在ということになります、なるはずです)( )でめっちゃ重要なことを言うてしまいました)
エジプトのヘルメス文書が
古代インドのサーンキャ思想と
その根幹が繋がるって
(今ふと気づいた自論で専門家でないのでどうかご容赦くださいね)
ある意味全く不思議ではないのです
歴史的には
サーンキャの方が古い(と思う)
インド(ペルシャからの影響もある、アーリア人はペルシャから来たので)
とエジプトやギリシャへの双方向の影響というのは
時代を遡ればのぼるほどに(エーゲ海あたりで)
濃厚に繋がっていくはずです
と、まあ
話しが逸れることかなりいっちゃいましたが
なんの話でしたっけ?
そうそう
5年前ほどにいたく感銘を受けた
三木氏の本を
天王寺の独立系本屋カフェ
スタンダードブックストアに先日赴いた際
見つけたのです!
心斎橋にあったこちらの本屋さんが
2020年に天王寺に移転して
行きたいと思っていたところ
ちょうど谷町筋を用事から帰宅途中に
四天王寺にお詣りにもいけるし
同じ並びの商店街の
播磨屋(おかき)にもよれるし!
なんぼほどついでを作るのにゃ〜
(緊急事態宣言下、都会に出ることは貴重ですから)