image
 
 
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(←wikiをリンクしています)は
1893年9月に行われたシカゴでの第一回
世界宗教会議に出席するため
バンクーバーを目指し
ムンバイバンガロール)を出発し
香港日本を経由したそうです
それが125年前のことであり
当時のことですので
もちろん大きなを渡る長い船旅です
 
その前年に、ヴィヴェーカーナンダインド最南端
三つの海(ベンガル湾、アラビア海、インド洋)がまじわるところ
カーニャクマリ岬からある岩(小さい島)に
むかって泳いで渡り
その小さい島、岩の上で海に囲まれ三日間
瞑想したそうです
現在過去未来、さまざまなヴィジョンを見られたのでしょう
サマーディの状態だったと推測されます
 
この岩から戻った師が青年たちに(師も若かったのですが)
インドとヒンドュー教の篤い未来を熱弁し
感動した青年たちがヒンドュー教を代表して
この記念すべき世界宗教会議に赴いてほしいと熱望されたそうです
 
正式な招待状はもっていなかったといいますし
(本当は別に赴く人が決まっていた)
ハーバード大学教授、JH・ライトはこう保証したといいます
 
「スワーミー、あなたに信任状を要求するのは、
太陽に向かって、
『お前は輝く許可を得ているのか』と聴くようなものですよ」

 

 
ヴィヴェーカーナンダ大師が設立した
インドで知らない人がいない大僧院
(アメリカ、ヨーロッパ世界中に支部がたくさんあります)
ラーマクリシュナ・ミッションの唯一の日本支部
日本ヴェーダーンタ協会の僧侶(日本に来られて20年)
スワーミー・メダサーナンダ師の著書
『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダと日本』の中に書かれています
 
 
そして
ヴィヴェーカーナンダ瞑想されたその
現在、Vivekanada Rock Memorialといわれ
記念の建物があり
だれでも並べば船で渡ることができます
この写真は私が撮りました
(今から思えば本当に自分だったのかと不思議にも思います)
私の記念すべき初渡印2008年5月
その方、ヴィヴェーカーナンダが誰かも知らずに
ここがどんな場所なのかも知らずに
難民船のようにインド人に囲まれて渡った
ヴィヴェーカーナンダ岩の写真です
記念堂のなかの大理石はひんやり冷たくて気持ちよく
そこから入ってくる美しい光をとらえた写真です
当時は全くと言っていいくらいに何も知らずにいた
無知な自分でしたが(実際全く別のアシュラムにいたわけですし)
 
この光、このときにみた青い海と空
このときに入った
「オーム」が永遠に響く暗闇の部屋
何かが特別なのだと思ったものです
 
ヨーガをはじめたものの
マントラを読み上げることには必死でしたが
(シヴァナンダアシュラムでの)
肉体の向こう側に見えない世界があることにも
薄々気づいていましたが
神秘とか霊性とか導き、信仰ということには
全くと言ってよいほどに興味がなかった自分です
この時、ヨーガを学びはじめてまだ1年
身体メインのヨーガに邁進していて
なんとかしてシールシャ・アーサナ(三点倒立)が
できたらなぁと思っていたくらいです
 
このときは「ほんまにこの人誰なん?」と思っていた
不敬な自分でしたが
ヴィヴェーカーナンダ大師にゆかりのある
とにかくアシュラムから連れていかれたのでした
(アシュラムの休みの日の遠足だった)
 
この写真を見返せば
鮮明にファインダーを覗いていたことを思い出します
このときの「光」
このときの「海」によって
大きな導きが得られたのだと
今では確信しています
 
 
ではヴィヴェーカーナンダ大師
どのように日本に入り
今回なぜ6月30日に訪日記念125周年の
祝賀会が神戸で行われるのかを説明したいと思います
(東京ではもうすでに行われました)
image
(『ロマン・ロラン全集15』みすず書房の見開きの写真)
 
wikiでは日本に到着したの長崎で次に大阪とありますが
大事なことが抜けていて
師は日本の地をはじめに踏んだのは
確かに長崎なのですがそこから
まず神戸に入港しています
 
当時、関西に船で入ってくる場合
神戸港がその地でした
そうして海から渡ってくると
まず目指す方向、目に入ってくるのは
兵庫大仏と当時謳われた大きな大仏だったそうです
 
そうしてヴィヴェーカーナンダ大師
1893年の6月30日
神戸港にその足をおろされたので
この日に神戸で祝賀会があるわけです
 
下の写真も2008年当時自分がヴィヴェーカーナンダ岩で
その御足によじ登る子供達を撮った写真です
日本の仏教のお寺でも仏足石、お釈迦さまの足型を
信仰するというのがありますが
インドでは昔から聖者の御足とは特別であり
ひれ伏して崇拝するという習慣があります
(現在でも聖職者の左足、右足そして左足の順(多分)で埃をはらって
自身の額にその手をもっていき敬意を現すという習慣があります)
または、聖者の履物を掲げて崇拝の対象にします
 
今回、祝賀会の前に
早朝よりメリケン波止場で瞑想と祈りの行事もあり
そのあとにヴィヴェーカーナンダ大師も見たであろう
大仏さまがある能福寺でもお祈りも予定されているようです
 
wikiページをリンクさせています
そこに初代の兵庫大仏の写真が載っています
(↓お借りしました、頭が大きくてかわいいです)
 
ところでヴィヴェーカーナンダ大師が立ち寄った
1893年当時の日本とはどんなだったのでしょうか?
歴史をひもとくと明治26年にあたります
 
260年だったか?に及ぶ鎖国の
江戸時代が大政奉還とともに終わり
天皇制のもとに新しい時代
明治の時代がはじまり26年経過しています
 
その4年前の明治22年に大日本帝國憲法が発令され
その翌年27年には日清戦争
日本がだんだんと
きな臭くなっていく寸前ともいえるかもしれません
 
しかし西欧の文化、物質が押し寄せてはいただろうけれど
まだまだ江戸文化、江戸情緒が残った時代だとも想像されます
 
江戸後期から明治の日本をそのとき赴いた
外国人が書いたものからまとめた秀逸な文章の
渡辺京三『逝きし日の面影』にも
濃厚に生き生きとした
日本と日本人が描かれています
(自分が知っていると思っていた当時の日本は戦後教育や西欧の思想を導入することで
壊滅された日本の自虐的否定的な姿だったのだ気づいた書物でもあった)
(この本のことを書いた自分のブログ→
 
 
話がいろいろになってまとまりがなくて
申し訳ないのですが
先ほどの日本ヴェーダーンタ協会のマハーラージが書かれた
『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダと日本』
 
その著書でヴィヴェーカーナンダ大師が感動した
当時の日本の様子が描かれていますし
どの寺かは具体的にはよくはわかっていないのですが
京都、奈良の寺に師が廻ったことは
その師の手紙などでわかっているようです
 
そして、なんといっても聡明で美しい
ヴィヴェーカーナンダ大師を見た当時の日本人
ブッダだ!!そっくりだ!」と驚いたそうです
(ブッダでさえ見たことない、知らんはずやねんけどな笑)
 
大師のオーラはすごかったんだろうなぁと推測します
そうして芸術にも深い造詣があった師は
シカゴ行きの旅費をおしてでも
持ち帰りたいと思った日本画があったといいます
(のちに岡倉天心とも交流ができますしその日本画とは?とても興味があります)
 
 
他にもたくさん書きたいことがあるのですが
収拾がつかないことになってきました😅
 
今日はあと少しだけ
ヴィヴェーカーナンダ大師
どれだけ偉大な人であるのかということを
少しさらっと流してみます
 
スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
ラーマクリシュナ・ミッションの
大僧院であり慈善教育団体でもある
ラーマクリシュナ・ミッションを立ち上げただけでなく
近代インドを代表する精神的指導者
近代ヨーガを確立(四つのヨーガ)
image
  (ロマン・ロラン全集15 みすず書房の目次)
 
日本では残念ながら
師の存在はあまり知られていませんが
現代において
インドの地より離れた外に流れ込んだ(浸透した)
世界のヨーガの流れの礎を築いた
偉大な方「預言者」であられます
 
 
私はまた個人的に
大きな敬意をもって
真言密教の宗祖、弘法大師
インド発信の新しい時代の礎を作った
ヴィヴェーカーナンダ大師
時代も人種もその宗教も超えて
とても重なってしまいます‥(知名度的にも)
 
 
 
大阪で行われているインド哲学勉強会のサイト→

日本ヴェーダーンタ協会のサイト→

 
この祝賀会、大阪勉強会の有志により運営しております
どうぞご参加無料ですのでお越し下さい
私は物販担当しております