本日2018/05/29の満月の日
鞍馬寺仏陀降誕祭である
(実際のゴータマ・シッダールタが肉体として生まれた誕生日ではなくブッダ=「覚者」、悟った日となる)
ウエクサ祭が行われる(行われている・行われた)
ちょうど19時から儀式が始まるそうだ
 
朝そのことに気づいたとき
行けないこともないなぁと一瞬思った
よくフットワークが軽いと言われるほうだし
実際行けるなら行こうが基本であるが
読みたい本もたくさんあるし
今日はゆっくり家に居ることにした
 
ブッダが生まれた
インドでは先月の満月の日
4月30日に
ブッダ・プールニマーがあったようだ
プールニマーは「ヴェーサーカ」とも言われ
仏教徒の大事なお祭り事の日になるのだが
 
日本の「ウエクサ祭」の「ウエクサ」も
漢字で変換したらでてくる「植草」ではなく
この「ヴェーサーカ」(パーリ語)のからきているという
そのままだけをカタカナで残しているのだろう
 
それでも現在の仏教の言葉のほとんどは
インドのサンスクリット語から中国に入ってその
漢字になっているものが入ってきているのがほとんどだから
だけでカタカナで残るのは珍しいことかもしれない
 
例えばヨーガに絡めていうと
ディアーナ=禅那=瞑想、座禅
サマーディ=三昧
昨日、瀧谷不動尊で見た「護摩」は「ホーマ」
 
それで10年前のこととなってしまったのだけれど
はじめてインドに行ったとき
(インドには2回しか行ってないがこの1回で私は10年をかけて自分の魂の軌跡を辿ることができているし
このインド行きでそのあとのヨーガの道が決定した大事な旅であった、シヴァナンダアシュラムの滞在)
私は名称さえ知らずただブッダの満月のお祭りだよという
知識だけで当時このブッダ・プールニマーを目撃したのだ
 
そのときのことを書いたブログがこちらだ
もしよかったら読んでほしい
 
で何よりアメブロってすごいなぁと
個人的な記録として思ったことは
10年前にはiPhoneもまだでていないし(多分)
デジタルカメラを持って行っていて
それをSDカードでもっているのだけれど
パソコンをApple(MacBookPro)に変えたので
SDカードが入らない(多分)
CDROMでさえ入らないのだ
(Appleの考えではそんな時代ではないらしい)
 
なので、現在
この時の写真が見たくても見れない状況にある
(デジタルにするとほとんど写真をプリントしなくなった)
そうしたらだ
昔のこの5年前にもなるブログをひっぱりだしてくることもできるし
ブログを書く画面で(パソコン)
写真のところの画像一覧をその年のその月に該当すれば
写真がでてくるのだ!!
 
改めてすごい時代だ
デジタルになってアホみたいに写真を撮るものの
それをどのように保管すべきかということを常々に
悩んでいるのですが
このアメブロの画像機能
保存という意味においてすばらしい
 
アメブロに写真を載せておけば
自分のパソコンやSDカードなどの
記録媒体がもし無くなったとしても
アメブロさえ存続してくれて
もっというなら電気とネット環境さえあれば
自分が撮った写真
アメブロに載せた写真は常に必要なときに引き出すことができる!
 
常に1万単位でiPhoneに写真をいれている自分である
(わりとそんな人が多いのではないだろうか?)
iPhoneのギガ数は一番大きいのにしたのだけれど
MacBookProのほうは一番小さい16ギガで購入して大失敗
ハードの容量自体はあとではどうにもできない!
 
外部にバックアップするようにしているが
それでも写真が全然入らんし
どうしたものだかと
自分の写真への執着と保存で困っていた
 
実際のところ100枚撮っても
秀逸な写真は1枚あるかないかなのだ
そのことは知っている(プロじゃないけどね)
厳選すれば本当に必要な写真はかなりタイトになるはずだ
そうだ
どんどんやっぱりアメブロに記事を書いて
写真を載せて
自分のiPhoneの写真からはどんどん削除していけばいいのだ!!
 
全く関係ないことに現世的な事柄に必死に力説してしまった
かなり話しがそれたのだけれど
昔の自分のブログを読む必要のない方は
どうぞ写真だけでもご覧ください
 
 
 
南インド、トリヴァンドラムのニーヤールダムというところに
シヴァナンダのインターナショナルアシュラムがある
ヨガの聖地といわれるリシュケシュのシヴァナンダアシュラムとはまた異なるらしい
 
そこで満月のこの日
アシュラムから歩いて近くの寺院に行ったのだが
その寺院がなんというのか、今となって当時もわからない
 
そのお祭りには町中の人がたくさん集まっていて
外人は私たちアシュラムから来た人たちだけで
とても目立っていたし
観光客も全くいないようなところであった
 
 

 

 

2008年の満月

ブッダ・プールニマーである

大阪からこのアシュラム行きを誘ってくれたミキ

彼女は二回目のインドにも私を誘ってくれた

彼女と二人でとても良い時に来たんだね〜といいながら

この月を見上げたことは鮮明に記憶している

 

 

 

それで今日はというか

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの本を読んでいた

このとき、2008年のインド行きは

ヨガを勉強しだしてまだ1年たったくらいで全くの無知だったし

(今も知れば知るだけ、自分が知らないということを知るだけの繰り返しだが)

実際のところシヴァナンダアシュラムに

ヨガ・ヴァケーションというので15日間滞在していたのだけれど

そこで経験したことはもちろん大きくその後の

ヨーガに影響をしているのだけれど

 

実際今から思えば

アシュラムに滞在してアシュラムが休みの金曜日に連れて行ってくれた

ミステリーツアーのようだった

カーニャクマリ岬、ヴィヴェーカーナンダ岩

その方を誰かも知らなかった

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダに

誰かも知らずに出会ったことが

その後のヨーガの学びと道

そうして自分の過去生から連なる魂の軌跡を辿ることになる

という意味において

現世的な自分個人の重要な「旅」であること以上に

「自己の魂」の「旅」において決定的な自覚を促す

インド行きだったのだと改めて思う

 

そうしてスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

1893年、シカゴで行われた世界宗教会議に出席したのだが

(当時は無名の僧侶であった)

そのときにどんな話をしたのかを記した

『わが師』を今日読んでいた

もちろんスワミジの師とはラーマクリシュナである

 

その中にブッダ、もしくは仏教のことについて話した

即越して明晰、その洞察力には圧巻する

それをここに

長くなるがヴィヴェーカーナンダの言葉を引用したい

(大師には原稿はなく

完璧な英語で話したという講話を無償で速記したイギリス人がいた)

 

 

 
 
ヒンドュ教を成就する仏教  1893年9月26日
 
皆さんお聞きのように、私は仏教徒ではありません。それでも私は仏教徒なのです。もしシナ、日本、またはセイロンがこの大師の教えを奉じているのなら、インドはかれを、地上に化身した神として崇拝しています。(中略)ヒンドュ教(ヴェーダの宗教のことです)と今日仏教と呼ばれているものとの関係は、ユダヤ教とキリスト教との関係とほぼ同じです。イエス・キリストはユダヤ人であり、シャカ・ムニはヒンドュでした。ユダヤ教徒はイエス・キリストを排斥し、否、十字架にかけ、ヒンドュ教徒は、シャカ・ムニを神と認めて崇敬しています。しかしわれわれヒンドュが現代の仏教と、われわれが主ブッダの教えとして理解するものとの間を指摘しようとする真のちがいは、主としてこの点にありますーシャカ・ムニは、一つも新しいものを説こうとして来たのではありませんでした。かれもまた、イエスと同様に、完成するために来たのであって破壊するために来たのではなかったのです。ただイエスの場合にはかれを理解しなかったのは古い人々、ユダヤ人であったのに、ブッダの場合には、かれの教えの意味を悟らなかったのはかれ自身の信奉者たちでした。(中略)シャカ・ムニは破壊するために来たのではなく、かれはヒンドュの宗教の完成、論理的な結論であり論理的な展開でありました。
 ヒンドュの宗教は、儀式的と霊的の二つの部分に分けることができます。霊的な部分は特に僧たちが学ぶものです。
そこにはカーストはありません。(中略)シャカ・ムニ自身は僧でした。そして、隠されたヴェーダから真理を見出し、それを世界中に広めるためだけの大きなハートを持っていたことが、かれの偉大なところでした。かれは宣教を修行の中にとりいれた、世界で最初の人でした。
 師の並々ならぬ偉大さは、あらゆる人に対する、とくに無知な人々および貧しい人々に対する彼の深い慈悲心にあります。かれの弟子たちのある者はブラーミンでした。ブッダが教えを説いた時代には、サンスクリットはインドでももはや話し言葉ではありませんでした。学識ある人々の読む書物の中でだけ見出されたのです。ブラーミンの弟子たちのある者は、師の教えをサンスクリットに翻訳したいと言いました。しかしかれははっきりと、こう言いました、「私は貧しい人々、民衆のためにいるのだ。私には民衆の言葉で語らせてくれ」ですから今日まで、大量のかれの教えは当時のインドの地方語書かれています。
(中略)しかも他の面で、彼らは、男女を問わずあらゆる人が深く愛着している不滅の神を民族から取り上げたのです。その結果、仏教はインドでは自然死をとげなければなりませんでした。(中略)
 しかし同時に、バラモン教は何もかもを失っていました。あの改革の情熱、あらゆる人に対するあのすばらしい同情と慈悲心、仏教が大衆にもたらし、その当時のインドについて書いたギリシャの一歴史家をして、嘘をいうヒンドュは一人も見当たらないし、不貞なヒンドュ女性も見当たらない、言わしめたのはインドの社会を偉大ならしめた、あの驚くべきバンだねを持たなかったのです。
 ヒンドュ教は仏教なしに存続できないし、仏教はヒンドュ教なしに生きられません。両者の分離がわれわれに示したものを理解してください。仏教徒はブラーミンの頭脳と哲学とがなければ立てないし、ブラーミンは仏教徒のハートなしには立てない。仏教徒とブラーミンとの間のこの分離がインドの没落の原因でした。ですからインドには、三億の乞食がいるのです。ですからインドは、過去一千年の間、征服者の奴隷になっているのです。ここで我々は、ブラーミンの素晴らしい頭脳をこの偉大な師のハートに、高貴な魂に、人間教化のチアkらに結びつけるようにしましょう。
 
 
とても長い引用になってしまいました
もっと短くと思ったのですがほとんど決して削れなかったです
 
現在からしても新たな発見とその真実性、深い洞察をみないでしょうか?
ブッダが弟子に自分の教えを文章化させなかったというのは
日本にいてその研究者に聞いたことがありますが
それがなぜなのかという理由がなかったのです
それがサンスクリット語という特別な人
僧侶たちだけの単なる知識とならないようにしたためであったこと、
民衆のための教えであったこと
当時のインドの地方語(パーリ語?)で語られていたこと
はじめてヴィヴェーカーナンダによって知りました
 
そうして日本に仏教が入ってきたのは
ブッダ入滅後1000年です
そうして日本にきた仏教は大乗仏教です
そのことにはまた違いがあるでしょう
 
それでもユダヤ教とキリスト教の関係
ヒンドュ教と仏教の関係性
ここに同一性をみていることは示唆に富みますし
ヒンドュ教と仏教の乖離がインド(当時までの)の不幸にあることを
説いている最後のところ
ここは本当に斬新というか、説得力があると
本当にヴィヴェーカーナンダ師は真理を読み解く人だと
サマーディの経験者
「イエスがきた」
「ブッタがきた」
この「来た」という表現
ここではもちろん英語から日本語に翻訳されていますが
どの視点から言っているのか
やはり
「預言者」といわれる所以だなぁと思うのでした
 
長文を
最後までおつきあいくださって
ありがとうございます