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Samahaku-Tea-Room

ごく普通の日常の記録です。
ほっこりもピンチも、バンザイも涙ぽろりも、あるがままに綴ります。

母の他界に先立つ十余年前、

父も母同様に自宅で他界した。

 

 

70代も半ばごろから立て続けに大病に見舞われ、

最期は病院から自宅に帰りたいとの事で、

その希望通りに帰宅して数日後の死去だった。

 

 

自宅での他界なので検視を受けた事は母と一緒だが、

無事に父の葬送を済ませた後、

その悲しみが飛んでしまうほどに母は多忙になった。

 

 

そう、相続である。

 

 

取り立てて財産があるという事ではなく、

むしろマイナスのような形での他界だった訳だが、

それでも細々とした相続や名義変更が発生して、

今の私同様に書類嵐に母も見舞われる事になった。

 

 

そしてそれがひと段落すると、

今度は父の遺品の整理である。

 

 

父は着道楽の一面があって、

晩年、足腰が弱って車椅子のお世話になっていても、

自分の着るものを誂えたり買ったりしていて、

衣類だけでも膨大な数があった。

 

 

欲しいという方には差し上げた他、

大部分は処分した父の衣類の中で、

母が唯一とっておいたのがツィードのセーターである。

 

 

肘の部分に皮のような素材の肘宛がついて、

見た目は結構洒落ているそのセーターは、

私も父が着用していた記憶がある。

 

 

「忠臣蔵でね、赤垣源蔵の徳利の別れがあるでしょ?

 あれじゃないけど、

 時々ハンガーにつるしてお父さんを偲んでるのよ。

 私が死んだときはお棺にこれだけは入れてね」

 

 

忠臣蔵は言わずと知れた赤穂浪士四十七士の物語だが、

その四十七士の中に「赤垣源蔵」と言う人がいる。

 

 

酒を好み深酒になる事もあったのだろう、

映画やドラマでこのシーンがある時は、

討ち入りを前にそれとなく兄に別れを告げに来た源蔵に、

兄嫁が露骨に嫌な顔をしたりする。

 

 

兄の不在を知った源蔵は兄の羽織を借り受けて、

更に一室も借りてその羽織を兄に見立て、

持参した徳利の酒を酌み交わす

(と言っても兄の分も自分が飲む)、と言う、

見る人の胸に切なさと涙を落とす場面になる。

 

 

その源蔵よろしく、

母も時折このセーターをハンガーにかけて壁に吊るし、

在りし日の父を偲んでいたという訳だ。

 

 

余談だが父は後に遺した妻に、

形見のセーターを壁にかけて涙して貰うような、

出来た夫ではない。

 

 

弱いくせに酒飲み+

異性問題+

あえて言うが甲斐性なしだが亭主関白+

妻を束縛+

肺がんを父が発症した際に禁煙するよう促した母に、

「お前が肺がんになったら止める(母は副流煙を吸っている)」

と言い放った等々、

娘の私からしてもどうしようもない男なのだが、

惚れた弱みという事か、

母は時々そのセーターを取り出して眺めていたようだ。

 

 

母の遺体は検視をして貰った後、

自宅ではなくセレモニーホールに運ぶ事になった。

 

 

その時に伯母に、このセーターとリビングに飾っていた父の写真を、

棺に入れて欲しいと頼んだところ快諾してくれた。

 

 

ところが、小柄な母に対して大柄だった父のセーターだからか、

伯母は横たわっている母に毛布のようにかけてくれたらしい。

 

 

母が発見された日と同じく、

連日災害級の暑さと注意喚起が叫ばれている時のその姿は、

見るものを威圧させる暑さだったようだ。

 

 

母の訃報にかけつけてくれた叔母の夫が、

「いくら死んでるとは言え、こりゃ暑がるんじゃないか?」

と言ったそうだから余程なビジュアルだったのだろう。

 

 

しかし母の最期の顔が、

見ようによっては少し微笑んでいたような表情だったのは、

この事もあるのかも知れない。