※この章は人の死に対する生々しい表現があります。
苦手な方はお読みにならないようにご注意ください。
実家と長距離を隔てて別居している場合、
私に限らず突然の訃報にはすぐ対応できないことがあると思う。
私もそうだがその点、
母も私も充分に意思の確認を済ませていた。
とりわけ今年に入ってコロナウイルスの拡大感染が大きくなると、
我が家の子供が二人共持病持ちなのもあって、
感染拡大の度合いによっては葬送に立ち会わなくていいと、
母が自ら強く念押ししていたくらいである。
そしてそれに加えて母の性格を思うと、
私だけならともかく私の夫や子供達に、
最後の姿を見られる事は抵抗があったに違いない、
と確信できるものがあった。
母は戦後間もなくに地方の過疎地で出生したのだが、
おそらく乳児期のオムツ替えの時になったのだろう、
いわゆる股関節脱臼を起こしたまま成長した。
家族は毎日見ているので気付かなかったらしいが、
幼児期になった時に近所の人から、
「お宅の娘さんは足が悪いの?」と言われて、
初めて祖母(母の母)は気付いたそうだ。
当時の母の故郷では医療格差もあったであろうし、
積極的な治療を受けぬまま成人する。
しかし私が生まれてかなり成長した頃には、
大きな病院で手術で治ると太鼓判を押されたそうだが、
手術そのものに恐怖を抱いたために受けずじまいだった。
とは言え自ら選んだ結果ではあるものの、
足を引きずっての歩行を他人に見られる事を嫌がったのと、
足についてのコンプレックスがさせるのか、
自分が他人にどう映るかをひどく気にするところがあった。
その母は、伯母とその息子によって発見された時、
死後の筋肉の緊張や弛緩の影響によるものか、
失禁した状態で発見されている。
検視を受け納棺する時には、
それなりに綺麗にして頂いていたことだろうが、
失禁したという事実のある顔や体を、
私の夫や子供達に見られることは、
母の性格からは我慢できなかったに違いない。
そこを強行したら化けて出るくらいのことは絶対しただろう。
静かに怒りをたぎらせるタイプの母だから、
怒りの余り娘家族を呪うような念を遺したかも知れない。
(余談だが私が一人でも立ち会わなかったのは、
子供が持病の発作を起こしていて動けなかったというのもある)
伯母から見ると泣くことも取り乱す事もなく、
淡々と母の火葬を頼んでくる姪にさぞ面食らっただろうが、
折からのコロナ禍や母の意思もあるということで理解してくれた。
伯母が仮の喪主となって荼毘にふしてくれる最期の別れの時、
発見時には見開いて息絶えていた母の目が、
薄目を開ける程度に瞼が下りて、
見ようによっては少し微笑んでいるようだったそうだ。
それを伯母が報告してくれた時、
母が私の取った行動に満足してくれたのだなと、
訃報を受け取ってから初めて気持ちが落ち着いたのである。