Samahaku-Tea-Room -9ページ目

Samahaku-Tea-Room

ごく普通の日常の記録です。
ほっこりもピンチも、バンザイも涙ぽろりも、あるがままに綴ります。

※この章は人の死に対する生々しい表現があります。

  苦手な方はお読みにならないようにご注意ください。

 

 

 

 

 

 

実家と長距離を隔てて別居している場合、

私に限らず突然の訃報にはすぐ対応できないことがあると思う。

 

 

私もそうだがその点、

母も私も充分に意思の確認を済ませていた。

 

 

とりわけ今年に入ってコロナウイルスの拡大感染が大きくなると、

我が家の子供が二人共持病持ちなのもあって、

感染拡大の度合いによっては葬送に立ち会わなくていいと、

母が自ら強く念押ししていたくらいである。

 

 

そしてそれに加えて母の性格を思うと、

私だけならともかく私の夫や子供達に、

最後の姿を見られる事は抵抗があったに違いない、

と確信できるものがあった。

 

 

母は戦後間もなくに地方の過疎地で出生したのだが、

おそらく乳児期のオムツ替えの時になったのだろう、

いわゆる股関節脱臼を起こしたまま成長した。

 

 

家族は毎日見ているので気付かなかったらしいが、

幼児期になった時に近所の人から、

「お宅の娘さんは足が悪いの?」と言われて、

初めて祖母(母の母)は気付いたそうだ。

 

 

当時の母の故郷では医療格差もあったであろうし、

積極的な治療を受けぬまま成人する。

 

 

しかし私が生まれてかなり成長した頃には、

大きな病院で手術で治ると太鼓判を押されたそうだが、

手術そのものに恐怖を抱いたために受けずじまいだった。

 

 

とは言え自ら選んだ結果ではあるものの、

足を引きずっての歩行を他人に見られる事を嫌がったのと、

足についてのコンプレックスがさせるのか、

自分が他人にどう映るかをひどく気にするところがあった。

 

 

その母は、伯母とその息子によって発見された時、

死後の筋肉の緊張や弛緩の影響によるものか、

失禁した状態で発見されている。

 

 

検視を受け納棺する時には、

それなりに綺麗にして頂いていたことだろうが、

失禁したという事実のある顔や体を、

私の夫や子供達に見られることは、

母の性格からは我慢できなかったに違いない。

 

 

そこを強行したら化けて出るくらいのことは絶対しただろう。

 

 

静かに怒りをたぎらせるタイプの母だから、

怒りの余り娘家族を呪うような念を遺したかも知れない。

(余談だが私が一人でも立ち会わなかったのは、

 子供が持病の発作を起こしていて動けなかったというのもある)

 

 

伯母から見ると泣くことも取り乱す事もなく、

淡々と母の火葬を頼んでくる姪にさぞ面食らっただろうが、

折からのコロナ禍や母の意思もあるということで理解してくれた。

 

 

伯母が仮の喪主となって荼毘にふしてくれる最期の別れの時、

発見時には見開いて息絶えていた母の目が、

薄目を開ける程度に瞼が下りて、

見ようによっては少し微笑んでいるようだったそうだ。

 

 

それを伯母が報告してくれた時、

母が私の取った行動に満足してくれたのだなと、

訃報を受け取ってから初めて気持ちが落ち着いたのである。