私の生家では珈琲は15歳から、と言うルールがあった。
確か「子供が飲むと脳が硬くなるから」という、
エビデンス的にどうなんだという理由で納得させられていたが、
おそらくカフェイン摂取を気にしたのだろう。
しかし刷り込みとは恐ろしいもので、
15歳になってもあまり珈琲を口にすることはなかった。
機会があっても紅茶かココア、他のソフトドリンクだったと思う。
それが今では珈琲党だ。
だがこれもやはり刷り込みなのだろう、
生家でもインスタントを主として飲んでいて、
私もどちらかと言うとインスタントを好み、
某メーカーのバ〇スタを愛用している。
そんな私以上に珈琲好きなのが夫だ。
出会った四半世紀ほど前、
夫は実は珈琲が飲めなかった。
酸味と苦みを苦手とする夫は、
インスタントであっても珈琲が苦手だったものが、
今や豆の違いの蘊蓄を述べ、
インスタントに対しても評価が厳しい。
その夫は日々の生活の中で、
我が家の「お茶大臣」となっている。
緑茶、ルイボスティー、ウーロン茶、珈琲、紅茶など、
およそ家で飲むお茶の類を作るのが分担家事の1つだ。
もちろん、私が淹れる事もあるのだが、
好みの細かさが多いので、
必然的にそのようになった。
猛暑のこの時期、
「珈琲お願い」の一言で、
私好みのミルクたっぷりなアイスコーヒーを出してくれる。
夫が準備に動き出して間もなく漂うその香りを感じると、
たとえ怒りや悲しみの感情があってもふとそれが緩む。
先日母が他界した。
いわゆる孤独死での別れだったが、
他界から1日も経たずに見つけて貰い旅立って行った。
現在その後始末に奔走する日々を送る中、
夫の淹れる珈琲の香りが大きな慰めになっている。