運動会
10月初頭の日曜日。空高き秋空の下、栄町小学校の運動会は開催された。天気もよかったこともあり、運動場は観客いっぱいに膨れ上がり、運動会の最終種目「全校リレー」が始まるのを待っていた。全校リレーは、各学年男女四名ずつが代表として選ばれ、赤組、白組、青組、黄組のバトンをつないでいく。「最近、ウン(コ)はどうかい?(運動会)。バトンを落として、バットンⓆ」「・・・・・・」「お前のギャクが相変わらず、寒いのー」「ハハハハハ・・・」五年生代表の四人はみんなで笑った。「しかし、この前まで女子より遅かったお前が、全校リレー選ばれるなんてビックリやわ。今でも信じられん」「ホントだよ。俺たちの秘密の特訓のお陰かもな。なー隼人」「そうだよ。少しは俺たちに感謝しねーとな、大海」「全校リレーに選ばれて、ぜんこうちょう(絶好調)」「・・・・・・」「だからー、お前のギャクは寒いんだって」「ぎゃはははは・・・」四人はまたみんなで笑った。そんな様子を遠目に哲は見ていた。もうそれだけで涙溢れる思いを必死に堪えていた。時間が来て、一年女子がスタートラインに並ぶ。会場はピストルの合図を待ち、静寂に包まれる。「位置に着いて、よーい、バン!」ピストルの音が鳴る。各組一斉に歓声が響き渡る。「行けー行けー」バトンは一年男子、二年女子、二年男子の順に渡っていく。五年女子にバトンが渡り、五年男子の代表メンバーが、バトンを受け取る準備を始めた。赤いハチマキをした岡元隼人、白いハチマキの中田康平、黄いハチマキの河合駿太郎、そして青いハチマキをした大山大海が白いライン上に並んだ。大海の青組は、三位を走っている。大海は、行くぞと拳を強く握った。一周二百mの運動場を女子と四年生までの男子が半周、五年生と六年生の男子は一周二百mを走る。❘いよいよだな、カメラを構える哲も緊張で腕に力が入る。「さー勝負だ大海、全てを出し切れ」一番に隼人がバトンを受け取り、康平が二番目、大海は三番目にバトンを受け取る。それぞれの距離は、五mずつほど離れている。隼人がコーナーを周り、直線コースに入って、二位との差を少し広げる。かわりに二位と三位の差が徐々に縮まっている。大海が康平との差を縮めていく。青組の応援は一段と盛り上がる。「大海行けー。白組を抜けー」哲はカメラを撮っていたことも忘れ、「行け、大海ー」と心の中で叫ぶ。カメラの画面は、走る大海の姿は捉えていない。地面を映している。コーナーの手前で、前を走る康平の後ろにピタリを着く。カーブを曲がりながら、外側から追い抜こうと必死に走る。康平も抜かれまいと必死の形相。直線コースになったところで、最後の力を振り絞り、大海は康平よりわずかに早く六年女子にバトンを渡した。二位に上がった青組の声援は、なお一層大きな声援で盛り上がった。「よっしゃー」バトンを渡し終えた大海は、小さくガッツポーズをした。哲は自分が走ったかのごとく息子の走りに興奮していた。「よく走った。いい走りだったぞ」堪えていた感情は、一気に爆発し、目には涙が溢れていた。周りの声援が急に静寂になり、哲は一人、静かな世界に佇んでいた。目の前で起こった奇跡が、スローモーションのように流れていく。河川敷の坂道を必死に走ってくる大海の姿。一緒に階段上りを競走してゴールするたびハイタッチしている姿。足が上がらないもも上げの練習。ビリで走りながらも笑顔満天で走っている小さかった頃の大海。思い出が走馬灯のように昔の風景が流れていく。レゴブロックを一心不乱に組み立てていく大海。ワニのぬいぐるみをアニと言っている。大きすぎて難産で生れてきた大海をこの手の中に抱いたあの日のこと。止めることができない涙は溢れ続けていた。「間に合って、よかった」安堵のため息と共に、ありがとうという思いもあふれ出る。それは、大海と共に経験したかったこと、父親として息子のためにしてあげたかったことだったのかもしれない。「ありがとう。間に合ってよかった」全ての運動会のプログラムが終了し、生徒たちは片付けを始め、父兄たちが徐々に帰り始めた時、大海は哲の姿を見つけ、駆け寄ってきた。「いい走りだったな」哲はいった。「うん」大海は大きくうなずく。「お父さん、ありがとう」大海は、はち切れんばかりの笑顔でそう言った。――俺の方こそ。哲はその言葉は言わずに、大きく頷き、右手の手のひらを大海の方に向けた。大海はその手のひらに、自分の右に手のひらをゆっくり合わせた。