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最終章(ファイナルチャプター)辰吉丈一郎引退試合を観戦して・・・お疲れさん秘話4

最終章とは彼の引退試合のキャッチコピーです。1998、8、29の大阪ドーム(現京セラドーム)は何十人の辰吉選手の分身(彼のトレードマークの後ろ髪を結び、ジャージ姿)が来ていました。通常のドーム興行は2~3試合の世界戦とセミに日本タイトルマッチ等を同日に行い大きなドームを埋める努力をします。そうしないとチケット代やらのいわうるゲート収益が読めないからです。辰吉選手の前まではガラーンとしていたドームが彼が上がる前には人が入る余地が無い位ギッシリと関が埋め尽くされていて、本当に1選手の試合を観に日本中から辰吉選手の分身が来ているんだなぁと改めて驚かされました(@_@)彼がテーマソングに使い続けている死亡遊戯の曲が流れるとドームが地響きを上げて辰吉コールが始まりました。勿論僕達もです(;^ω^A戦前辰吉選手は「リングに上がった時は親父が居て上がった、だから最後も一緒に降りる」と言っていました。試合前に亡くなられたお父さんは辰吉選手にはかけがいの無い人でした。そのお父さんを亡くし本当に辛い時期を持ち前の明るさで周りには元気なように振る舞い元気のない時に自分より他人の世話をやいたりと、こんないい奴は居ませんよ。普通名前が売れると鼻が高くなり生意気になります(大体がそうです)が彼は違います。数十年前から変わらずに接してくれました。そして彼の最愛のお父さんがこの世を去っても最後は一緒だという言葉通りその最愛のお父さんの遺影とリングガウンに生前元気だった時のお父さんの写真を後ろと前に刺繍して通路を通りリングに上がって来ました。リングに上がるとリングに円を描くようにお父さんと2人で回っていました。君が代が吹奏中辰吉選手は目を瞑りいつもならガウンをもう脱いでいるのにまだ帯も取らずに着ていたのが印象的でした。開始のゴングが鳴りましたが僕はウィラポン選手には勝てないと思っていました。おそらくボクシング関係者も。ラウンドが進むにつれてダメージが辰吉選手に溜まっているのがわかりました。高校時代から見ていてやはり膝のバネは無く、打たれもろくなっているのが本当にわかりました。見ていてこんな残酷な試合は早く止めて欲しかったのが本音。迎えた7ラウンドチャンピオンのウィラポン選手は連打して辰吉選手をロープに押し込みました。僕はもうタオルを入れて欲しいと思った、多分僕以外の人もそう思ったでしょう。ウィラポン選手は連打を止めてレフェリーを一瞬見ました。止めないのかと言いたげに。その矢先に大の字に辰吉選手はゆっくりとストップモーションを見るように後ろに倒れました。その瞬間青コーナーからタオルが舞いました。終わった・・・。辰吉選手は最後まで勇敢にお父さんと自分のやりたいようにやり見事に最終章を迎えたなと。試合後相手選手を気使い、そしてお父さんのガウンを来てリングの上を手を合わせて四方に「ゴメン、最後まで有難う」と10分位リングの上を2人で回り死亡遊戯の曲と供にリングを降りて行きました。最後に僕はお疲れさんと何度も言いました。

秘話3・・・引退試合はドーム興行で!大阪での思い出フラッシュバック


下記は引退試合のプログラムですが、辰吉丈一郎選手がラストマッチに至るまで本当に色んなドラマがありました。ガチンコという番組でも何度か出演していましたが飾らないキャラは僕を含め視聴者の皆さんも辰吉丈一郎という人間を益々好きになったんではないでしょうか(^-^)/僕は彼の引退試合の1日前に大阪入りし、学生時代に赤井英和さん主演・大和武士準主役の「どついたるねん」という映画の撮影の期間に赤井さんの家に泊めて頂いたり食事を食べたりした赤井さんの自宅付近やら天王寺駅、通天閣に登ったりと久し振りの大阪を一人で満喫しました。当時を思い出すと(今もですが)赤井さんは本当にお酒が大好きで酔うと最初は大きな声を出して笑ったり笑わせたりと楽しい人なんですが目が据わると怖いです。すぐ手がでます(T▽T;)僕は大阪に行く時は大体兄貴のように慕っている大和武士さんと一緒でしたが今回は1人で、しかも引退という悲しいイベントを観に来ているので寂しくなりました(これは本当にそうでした)当日辰吉選手を応援する為に東京から僕の中学校時代の仲間がかけつけてくれてくれました(前回のフォトです、皆品が良さそうでしょう(^_^)v)
引退試合プログラム

秘話2・・・周囲の辰吉選手の出場の期待?と本人の葛藤の裏話


辰吉選手選手応援団(?)1番カッコイイのが僕に決まってるでしょう(#`ε´#)!!僕は下列の1番左側です
大(?)応援団
全日本選手権兼ソウル五輪最終選考会の辰吉選手はあまり良い動きではありませんでした(2回戦敗退)18戦18勝の無敗記録にも初めて黒星がつきました。結果は受け止めてはいましたが僕は本調子ではないにしても彼の目に輝きもない(ボクサーは調子が悪くても目は皆ギラギラしている筈で)しどうしたんだろうと。浪速のタイソン、浪速のジョーはその後アマチュアボクシングのリングでの勇姿を見ること無くなりしばらく月日が経ちました。僕はあまり人の事は気にしない性格でしたが彼の事はどういうわけか気になり、雑誌には「辰吉引退か?」とか「辰吉行方不明」とプロではないのに取り扱いがプロよりも大きな記事ばかりでした。僕はJR五反田駅にあるワタナベボクシングジムで昔から練習をしていて今のジムの興行を担当するS氏とS氏の事務所で話をしていたら、そこになんとあの辰吉丈一郎選手が現れました。突然の事で僕もビックリしましたがどうもS氏は辰吉選手の相談役で偶々東京に遊びに来ていたみたいでした。僕はS氏に紹介され自分の頭の中にあるモヤモヤしたものを本人に聞きました。本人はすぐにでもプロになりたかったらしい。しかし当時大阪帝拳ジムは先ずオリンピックに出場させて金メダルを取らせてからプロにというレールを敷いていたみたいです。でも本人は出たくも無い試合に嫌々出ているのが耐えられなくなりわざと負けたんだと。なるほどと思いながら彼の今の気持ちを聞いたらすぐにもプロになる心の準備は出来ていると。僕はそれを聞いて今までのモヤモヤが晴れていき辰吉丈一郎という人間に益々興味を持つようになった。