2年前の2008年11月、わたしは東京でははじめて開催された「D1だじゃれグランプリ」という大会に出場しました。
詳細は長くなるので省きますが、その場で出題されたお題に30秒で即興のだじゃれを考えて、対戦形式で勝ち負けを競うものです。
その後、翌年2009年1月から、「D1.com」 というこれは即興ではありませんが、だじゃれのインターネトット投稿サイトがオープンして、そちらにも立ち上げから参加しています(というか、運営者を除く一般の第1号会員です・笑)
また、最近になって、「Dajare Station」 や、「ダジャレノボ」のような、だじゃれ投稿サイトや企画にも参加しています。
「D1だじゃれグランプリ」に出会ってから2年間、だじゃれを考える、作るという楽しさと難しさを体感しています。
それまでも、自他共に認めるだじゃれ好きで、私生活でもブログやネットでも事あるごとにだじゃれを言っていましたが、それは言おうと思って考えて言ってたのではなく、たまたま思いついたら言っているということにすぎませんでした。
というか、だじゃれとは本来はそういうものなのだと思います。
それがここ2年くらいは、おもしろいだじゃれを考えついたから発表するのではなく、発表するために何とかおもしろいだじゃれを考え出すというスタイルに変わってきたのです。
これはこれで、たいへんなのですが、結構おもしろくてハマッているわけです。
だじゃれ好きのわたしでも、わざわざだじゃれを考える、作るというのは、今まで50年近く生きてきても、あたりまえですがそんな必要性に迫られることもなかったため経験したことがありませんでした。
しかし、これはやってみると、ほんとにだじゃれがいかに高度な言葉遊びかというのがよくわかります。
じゃれ子先生が、自著「だじゃなぞ学園」 の冒頭、だじゃれについて次のように表現されています。
言葉の音と意味が交錯する瞬間に生まれるビビットな輝き、それがダジャレなのだ!
なかなか言い得て妙だなと思います。
なんというか、自分の知っているボキャブラリーを頭のたんすから引っ張り出して、言葉のファッションセンスを駆使して服をコーディネートするように(「コーディネートはこうでぃねーと」とか言わないよ・笑)、「この言葉とこの言葉の組み合わせはどうだろう?」、「なんかしっくりこないなあ」、「上はいいけど下は浮いてるな」、「なんか誰でもやりそうで平凡かな」と、着て行く服が決まらないときのもどかしさのようなものと戦いながらも、決まったときの「よし!」という自己満足感に酔いしれることもあるのです。
それは例えるなら、クロスワードパズルが出来上がってひとつの文章になったときのあの感覚というか、もっと言えば、最後の1ピースがカチっとはまってジグソーパズルが完成したような感動すらあるのです(大げさか・笑)
ま、おそらく経験したことのない人には理解できないかもしれませんが、その自己満足と小さな感動みたいなものを求めて、今日もわたしはだじゃれを作るのです。
