今さらですが、今回はわたしが独立した頃の昔話をちょっと書いてみたいと思います。



今から16年前の平成6年の夏、当時サラリーマンとしてわたしが勤務していました輸入雑貨の会社が閉鎖となりました。外資系の会社の日本法人でしたので、日本市場からの撤退に伴い、現地法人である日本支社も閉鎖、解散ということでした。わたしが34歳のときのことです。



当時は、もうバブルがはじけた後とはいえ、今のような不況ではありませんでしたし、まだ自分も34でしたから再就職も今ほど難しくはなかったのですが、以前からいつかは独立して自分で事業をという思いがあったのと、34になって、またどこかへ再就職して1から出直しするくらいならいっそのこと今だという気持ちが相まって、これを機にサラリーマン生活にピリオドを打ち、自分で商売を始めることを考えました。



なぜこれに行きついたかや、それまでの紆余曲折は今回は省略しますが、わたしが始めたのはクリーニング屋さんの代行サービスでした。



当時、東京の港区にあるクリーニング会社が外交形式による個人代理店を募集していました。



クリーニング店というのは、ふつうは直営か、もしくは取次店と呼ばれる受け渡しだけの店舗形式による営業展開をするのですが、このクリーニング会社は通常は店舗でやるその取次サービスを、車による外交でこちらから取りに行くという展開をしていました。



それも、自社で車を保有して外交スタッフを雇うのではなく、代理店形式で、自家用車を持ち込みで集配、配達業務を請け負う個人事業者と契約して事業展開していたのです。



車と少額の資金があればできる事業で、生活に密着して需要も十分見込めるサービスでしたので、わたしはその事業に代理店として参加しました。



当時は、港区の芝浦から中央区の築地、佃(リバーシティー)あたりを担当エリアとして、ゼロから顧客を開拓していきました。



しかし、わたしが始めて2年後の秋、ようやく顧客もできて、事業も軌道に乗って、なんとか食べられるようになった頃、そのクリーニング会社が突然倒産してしまったのです。



まあ、突然と言っても、会社が倒産するくらいですから、何らかの兆候のようなものは必ずあるもので、代理店とはいえ中にいたわけですから、危ないだろうなとうすうすは感じていましたが。



今思えば、この代理店ビジネスが失敗してこの会社は倒産に追い込まれたのではなく、追い込まれた状況を打破するため、逆転を図ろうとこのビジネスに起死回生をかけたものの、思うようにいかなかったということなのかもしれません。



どうであれ、そのクリーニング会社が潰れてしまえば、わたしたち代理店もこのままでは事業は存続できません。



これを機に代理店から足を洗った(?)人もいましたが、顧客もできてそこそこの売上があったわたしを含む代理店は、今度はクリーニング加工を請け負ってくれる設備を持った工場を探して、店舗もしくは営業拠点となるような事務所を借りて、一緒にやってくれるメンバーを集めて、それぞれ再出発の船出をすることとなりました。



そして、わたしも、はじめての店舗兼事務所を構えて、そこに集まった仲間2人と、今の会社の屋号である「SAMデリバリーサービス」を創業しました。



事務所は日本橋浜町の新大橋通りから一本入った路地の片隅にあるビルの1Fで、パソコンはもちろんのことコピー機どころか、自分の机すらない7坪ほどの小さな事務所でしたが、わたしにとっては希望がいっぱい詰まった夢の城でした。



それが14年前の平成8年、10月10日のことでした。



当時はハッピーマンディーなどの制度もなかったので「体育の日」だったのでよく憶えています。というか、憶えやすいようにその日にしたのですが。



わたしには、脱サラして独立した平成6年8月1日、そこからこの記事に書いたような経緯で創業した平成8年10月10日、さらにその事業を法人化して会社を設立した平成9年9月1日の3つの記念日があります。



結婚生活でいえば、婚約した日、結婚式を挙げた日、入籍した日みたいなものでしょうか(笑)どれが一番の記念日かは人によってさまざまでしょう。



わたしにとっては、この創業日である10月10日というは思い出深い日です。



それまでは、代理店でしたので修行期間のようなもので、この日が今の事業のスタート地点だという思いです。しかも、ここに書いたように準備も整わないままの荒波の中での船出でしたから。



そして、苦労とは言いませんが、この日が数々の困難の始まった日だと言っても過言ではありません。



その10月10日が今年も明日やってきます。




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