久しぶりの新潮文庫の100冊チャレンジ。

2023年、初読破。

初ゲーテです。

(おっと、『ファウスト』未読がバレた)

220頁余りの比較的薄い一冊ですが…なにせ時間が掛かった。

 

言い訳です。クリスマス、年末・年始は本業がガチャガチャに

忙しくなり、とてもではないが本が読めない。。。

(そして正直言うと1月末まで続くのです)

ただ、それだけではありません。本書の訳語があまりにも格調高くて。

訳者の高橋義孝氏は20世紀のドイツ文学者。ゲーテなどの作品を

数多く翻訳しています。『ファウスト』もね。

だけどとにかく格調が高くてさらっと読めない。

決して苦言ではありません。それだけ丁寧に読めるのです。

が、(ここからは苦言)本書締め括り近くで、

数頁にわたってオシアンの詩を淡々と綴る場面があるのですが、

そこが最大の難局でした。もう何が何だか。

どうやら我が心の古里スコットランドの作品だそうだけど、

それにしたって。。。

 

さて、本題に入ります。

本書はウェルテルがまるで日誌のようにウィルヘルムに書き送る

書簡が延々と物語を描いていきます。全体は3部構成。

書簡の部分が第一部と第二部に分かれていて全体の三分の二程度。

残りの三分の一は「編者」が一人称で読者に語りかけながら、

ウェルテルの書簡を解説するかたちを取っています。

若きウェルテルは、舞踏会繰り出す道すがら、一人の若い女性

シャルロッテ(以下ロッテ)に恋をする。ところが彼女にはアルベルト

という婚約者がいるのです。

恋心に薪を焚べて散々盛り上がるウェルテルですが、(67頁)

「【7月30日】アルベルトが到着した。ぼくはここを立ち去ろう。」

現実を突きつけられて、身を引こうとします。

しかし焚き付けられた恋心に彼の心は視野狭窄を患い、

とうとう物理的に彼女の下を離れることにします。

ここから第二部。

他の町で職につきますが馴染むことができず、

結局ロッテの近くに舞い戻ってしまいます。

そして想いを遂げることができないことがはっきりすると

彼はとうとう。。。

この辺りでもうウェルテルの書簡はもう混濁してしまったのか、

編者が介入し、解説を加えながら彼の最期までを物語るのです。

 

純朴な青年の一途な恋心がもたらした悲しい顛末、という面では

「恋愛小説」なのかもしれません。実際、18世紀後半、ドイツ文学史の

流れに「疾風怒濤」と呼ばれる反合理主義・アンチ秩序重視への

傾倒があったそうですが、本書はその代表作だそうです。

人間の感情なんてそんなお行儀よいものじゃない!みたいな。

当時、本書の結末を真似て、随分の若者がウェルテルと同じ衣装を

身にまとって自死を果たし、社会問題になったとか。

ただ21世紀の冷めた目で読んでしまうと、熱い恋愛というよりは、

一線を超えてしまってメンタルを病んでしまった精神患者にしか

みえなかったりもします。この手の思考狭窄に陥ってしまった人たちが

身の回りに多すぎる。そういう意味でほとんどウェルテルに

共感はできませんでした。やつがれはあくまでアルベルトですわ。

ウェルテルの埋葬について、最後の一文「聖職者は一人も随行しなかった。」

ゲーテは多分、宗教者の道徳的偽善を皮肉っているつもりなのだろうけど、

冷静に考えれば、当然のことだろうな、と納得してしまうやつがれです。

 

本書を読破するのに時間が掛かった最大の要因は、

ウェルテルがロッテのために翻訳したオシアンの歌を

彼女のために朗読する場面。その歌が10頁近く続くのですが(189〜199頁)、

これを読み解くのが難解で。。。しかも訳語が本文に輪をかけて

格調高く、もう国語の入試問題レベル。ググりにググって

どうやらこれがスコットランド(ほんとはアイルランド?)伝説の

英雄詩人だそうで、その歌に登場する人々が幾人か取り上げられて、

ウェルテルやロッテの現状と重なる、というのです。

朗読を聞いたロッテは涙を流し、ついにふたりは。。。

しかし、そのあとは雪崩のように悲劇のエンディングへと転がり落ちる。

 

やつがれも構造主義はもはやこの世界を解き明かすのに物足りないし、

科学至上主義もその権威を随分失ったと思っていますが、

しかしその対極に立てるのがウェルテルの情感だとは到底思えましぇん。

ウェルテルは、きちんとセラピーを受けるべきでした。