小川哲氏、どこかで伺った名前か、と思いきや
つい最近拝読しました、能登復興応援出版『あえのがたり』に
「エデンの東」を寄稿してくださった作家さん。
本書は、「エデンの東」で紹介してくださった
作家さんの手の内(脳の内?)をうんと広げて明かしてくれる一書。
確か三宅香帆女史との対談を見せるYOUTUBEを視聴して、
何か小難しいお話を楽しそうにする頭の宜しい方、という印象。
(もちろん良い意味です)
小川氏から繰り返し学ぶのは、とにかく読む人が何を読みたがるのか、
何を読みたがっているのか、読み手の気持ちや望みに寄り添う姿勢。
やつがれは小説家ではないけれども、定期的に説教を準備する職業柄、
こちらは文字通り「聞き手」を本来は意識して文章を紡ぐ。
説教屋は決して聴衆が耳に心地よいものを探らないように、と
戒められるのですが、だからと言って聞き手(読み手)を不快にさせる
ような語り方(書き方)をするのは違うのだな、と学びました。
また小説の「アイデア」をどのように手にするのかについて、
アイデアは生み出すものではなく、見出すもの。必要なのは視力。
とりあえず凡庸な文章を書き続け、その中で何か新しいものを見つける。
というようなことを綴っています。
これは説教の組み立てにも言える、と思いましたよ。
初めから人を動かす説教を弾き出そうとしても、行き詰まるのです。
初めは誰でも気づきそうな要点をダラダラと並べ立てて、
説教者として己の才の無さに呆れ果てるのです。
でも、ダラダラと原稿を書いているうちに、何か引っ掛かるものが生じる。
説教の大先輩がかつて、聖書の読み方について話してくれた中で、
「きれいに見える机の天板を手で丁寧に撫でていると、
時折、指先に何か引っ掛かる感覚が走る。
ささくれなのか、拭いた時に拭えなかったシールの残りカスなのか。
何度も読み返した聖書の章句であっても、丁寧に読んでいると、
あれ、と引っ掛かる感覚が走る。
そこをやり過ごさないことだよ、君。」
これが結構やつがれの羅針盤になっています。
やつがれにとっては、「エデンの東」に続く2冊目なので、
小川哲氏はこのような感じなのかな、と思っていましたが、
YOUTUBEでは、皆さん「小川さんらしくない文体ですね!」と
驚いているので、おそらく小川哲氏のファンにとっては
異色の一冊なのかもしれません。小川先生の独り言?と複数の方々が
感想を述べていました。
今度は小川氏の小説を読んでみようなか。
ここまで綴っておいて、たった今思い出しました。
以前、図書館で『地図と拳』を借りたことがあった!
その頃、仕事が忙しくて始めの数ページを読んでそれ以上
進まずに返却期間が来てしまったことがありました!
また借りてみよう。
