新潮文庫、今年のチャレンジ第2弾は昨年もライナップに入っていた

この作品。

市立図書館で借りたので表紙はフェア限定のカバーではないのですが、

内容は多分同じだと思います。

本編は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部、

巻末に大野淳一氏による用語解説、続いてエッセーが2本、江藤淳氏「漱石の文学」と

三好行雄氏「『こころ』について」、さらに漱石の年譜が添付されています。

 

さて、日本文学ベストセラーのあらすじを書くのも野暮ですが

一応やつがれもちゃんと読んだことの証しのために。。。

上編「先生と私」は鎌倉の海岸で大学生の「私」が、

何とも気を引く「先生」と出会う場面から始まります。

やがて「私」は「先生」の自宅に出入りするようになります。

「先生」は「妻(さい)」と二人で仲睦まじく暮らしている。。。

のですが、何か「先生」にも、夫婦の関係にも影が掛かっていて。

ある日「先生」の家を訪ねると、彼は不在で雑司が谷の墓地に墓参りに

行っていると言われます。しかも彼は定期的に出向くというのです。

乱暴にまるめると、この「先生」はどういうわけか人間を信じていない。

人間に関わるすべてに疑いを掛けているのです。愛は罪悪だ、とか金は人を変える、とか

挙句の果て人間不信の中に自分も、そして最愛の「妻(さい)」までも含めて??

その辺りにまた惹かれる「私」が、先生の魅力をちらつかせます。

 

そうこうしているうちに「私」の実家から父親が危篤だという知らせが届き、

彼は帰省するのです。ここから中編「両親と私」。

思いの外元気そうな父を見て安心するも、その頃

明治天皇崩御が知らされ、一気に精力を失う父。何とか元気付けるために、

「私」が東京で職を得て安定しているところを見せるべし、と家族に促され

渋々「先生」に就職斡旋を依頼する手紙を送るのですが、一向に返事がこない。

父親がいよいよ亡くなるかというタイミングで突如東京の「先生」より

著しく厚い手紙が届くのです。しかもその締め括りに

「この手紙が届く頃、私はこの世にもういないでしょう」

なんて書いてあるものだから、「私」は危篤の父をさておき、

慌てて東京に向かって戻ります。時系列でいうとここでエピソードは終わりww

 

下編「先生と遺書」は、その分厚い手紙、すなわち遺書の内容を全文ママで発表!

内容はかいつまんで言えば、近しい人に裏切られて人間不信に陥った「先生」が

(下編では「先生」が「私」になります)

何と「友情をとりますか、女をとりますか」の天秤を前にして

無情に友情を裏切り、友人を自死に追い込んでしまい、

何だ「私」も信用に値しない人間だ、という悲しい結末に辿り着くという青春ドラマ。

 

ただ、多分これはただの恋愛三角関係ドラマではないのですよ。

鍵は人を死に追いやる「こころ」。

友人Kを死に追いやったのはどのような「こころ」?

そして「先生=私」を死に駆り立てたのはどんな「こころ」?

裏切られた痛み?

いや実は、三つ目の死がしっかり描かれているのです。

明治天皇崩御を追うように自死を果たした乃木希典。

「私(オリジナル)」の父も崩御の知らせで生気を失いますし、

実は「私(先生)」も乃木の自死と己の顛末を重ねているのです。

「先生」は「私」の父同様、乃木同様、君主を追って死す美徳を

共有するのです。死に場所を探しながら彷徨うように生きる者たちは、

己の君主の死を追うことを潔しとしたのです。

この「殉死」を「私(オリジナル)」が認められないのなら、

新しい世代が受け入れられないのなら、それは致し方のないこと。

ただ「記憶してください」(327頁)、「参考になるものを御攫みなさい」(172頁)

と彼を促すのです。

そしてもしかすると夏目漱石がその晩年、次世代に訴えたこともそうだったのでは

ないだろうか、と思いながら読み終えました。

「俺たちの大切にしてきたこと、いのちを掛けてきたことに魅力も価値も

見出せないなら、せめてそんな奴がいたことを覚えていて欲しい。懐かしんでほしい。

もしかすると何か役に立つことがあるかもしれないから。。。

もしかすると共鳴する「こころ」があるかもしれないから。

 

漱石は1867年に誕生しています。やつがれは1967年生まれ。

ちょうど1世紀隔たっているんだな、と改めて思いました。

封建的な美徳は正直あまり響きません。でも、愚直なくらいの誠実さには

魅力を感じます。

また、何と言っても日本語表記!なんて自由なんだ!漢字の使い方も、送り仮名も

当て字も、ルビが振ってあるから読めたものの、そして大野淳一氏の懇切丁寧な

解説があるから読めたものの。。。

文部省が漢字の使い方をメチャクチャ制限してから、なんか詰まらなくなったんだな、

と懐かしんでいます。

 

「先生」は友人Kの墓参りに雑司が谷霊園に通います。

池袋サンシャイン60の麓に広がる霊苑、そこに漱石の墓があります。

そしてっ、我が家の墓も実は雑司が谷霊園にあるのです。

数年前、父を埋葬するのに久しぶりに出掛けました。

「やつがれもやがてはここに入るのか」

ふと思いながら霊園の中を散策しました。