出版されたのは約2年前、そもそも原書が執筆されたのは2009年。

ですから既に少々話題としては遅れをとっての読書です泣泣

早速だけど原題が辛うじて小さく表紙の

『〜の福音』の上に記されているのですが、

随分と印象というか趣旨が変わってしまっている。

原題はLove Is an Orientation。なかなか奥のあるタイトル。

和訳は難しいけど、つまりここで考えたいのは Sexual Orientation 

以上に「愛」の在り方(志向-orientation)を考えようということ。

四文字和語に置き換えるなら

同・性・愛・者の「愛」義理チョコに目を留めてみたい、というタイトル。

ところが邦題になると、まるでLGBTの正当性を「聖書的に」立証してみせる、

的な意気込みがむんむんとしてメラメラメラメラドンッ

しかも副題が「それは罪か、選択の自由か」とか追い立てるからますます。

ちなみに英語の副題は「ゲイの皆さんとの対話を高めたい」です。

さらに帯を見ると毎度のごとくまた「福音派」が槍玉に挙げられます。

辟易もやもや

 

本書を理解するのには著者アンドリュー・マーリン氏の身の上を

知ることが肝要でしょう。

極めて保守的な教会に育まれ、著しいホモフォビアであったことを

あるとき逆カミングアウトします。

爾来振り子がブンッと逆に触れている状況。

ただ彼の志は崇高です。英国セントアンドリュースでThDを取得、

さらに「マーリン財団」なる団体を立ち上げて果敢に運営、

有言実行です。

彼の思想の背景を知るには1〜6章辺りまでが参考になります。

自らの古巣に対して極めて辛辣ですわ。

読んでいてしんどくなるところです。

 

本書の要はおそらく7章。ここで彼はマーリン財団の掲げる

ミッション・ステートメント的な5原則を、聖書引照とともに紹介します。

上差し 思考を切り替える原則(創世記19章)

 私たちが神のみを求めることを阻害するようなものから、

 各々の思考を切り替えること。

チョキ 岐路の原則-聖潔法(レビ記18章22節、20章13節)

 各々が神のみのために生きるか否かという決断をする

 信仰の岐路に導くこと。

OK 一体化(Oneness)の原則(ロマ1章26〜27節)

 その決断に立った上で、各々が神と一体となる歩みに良い意味で、

 また悪い意味で影響を与えている事柄は何かを知るということ。

クローバー 大いなる論争(1コリント6章9〜11節)

 他者の人生を導くことをいつ手放すか知るということ。

パー 全体像で考える原則(1テモテ1章9〜11節)

 たとえ死ぬまでかかったとしても、神がその人のために用意された

 御心を達成するための道を開き続けるということ。

 

これらの原則に思いの外共感するところがあります。が、

これらの裏付けとなるはずの聖書箇所の釈義がとにかく

ぎくしゃくしているのですよ。これはマーリン氏が自ら施した

解釈ではなく、LGBT擁護の立場をとる人々の主張を取り上げた形。

彼らには独自の役割と貢献はあると思いますが、

一般の(福音派の!)教会と対話をするのなら、

もう少しスタンダードな釈義を試みないと…

 

本書後半は財団のコミットメントが1〜16まで。

カテゴリーにわけて紹介されます。これまで同様聖句引照が

伴いますが、それらはR・A・トーレイばりのプルーフテキスト。

(決してトーレイが嫌いなわけじゃないですよ)

ただコミットメントを説得力のあるものにしているのは

マーリン氏の実体験の数々。その熱量たるやメラメラ

 

読後感をあと二つ。

・マーリン氏は保守派の教会から繰り返し特定の批判を受ける、と

訴えるんです。が、その保守派の最右翼に属するやつがれは、

そんな批判、聞いたことないし、己れから湧いたこともない。

ただ、やつがれが何度も問い掛けたくなったのは、

「マーリン氏、あなたはこの教会(そう保守的な教会含め)の

仲間、否家族なんですよ。まるで他人か余所者のように批判するけど

あなたは紛いもなく私たちの側にいるんですよ。

家族を特に大事にするようにパウロは言ってるけど、どうよ?」

(ガラテヤ6章9〜10節)

・マーリン氏が求めるコミットメントが本当に必要ならば、

LGBT対応は教会ではできないよね。教会には既に向き合うべき課題が

山積していて、皆主イエスから託された大切な聖徒たちに仕えることが

最優先事項になっている。主イエスだって「イスラエルの失われた羊」に

遣わされたと自覚しておられる。

もちろん、彼らに御目に掛かることがあれば、それはもう大歓迎ですよ!!

もっとも、これまでもそのつもりではありましたけどね。

マーリン先生、教会とコラボしましょうよ。