今頃になって

「あっ、そういえば今年の【新潮文庫の100冊】って

 何が取り上げられてんのかな?」

とか気になってしまい、

近所のAPITA2階の本屋にカタログをもらいに行ったが、

当たり前ながら、もうとっくに店頭にはありましぇーん。

それで仕方なく新潮社のサイトにいって確認。

(やつがれはどうしたって紙媒体がいいんですよ)

 

段々読んだことのある本がエントリーするケースがマシマシ。

にしてもこれから未読のやつを全部読めるわけもなく…

それで今年は【新潮文庫の10冊】でいきますっ!

どの10冊にするかは、その日任せです。

さしあたって某著名ブックチューバ

紹介してた奴の中から一つ、ジャンルはミステリー系。

それでこの一冊です。

 

始まりはまるで少年少女の読書課題になりそうな場面。

夏休み前の終業式。欠席したクラスメイトS君の家に

主人公になるミチオ君(小4)はプリントを届けよう、と立候補。

担任の岩村先生から預かって家に行くと、

なんと、S君は首を吊って亡くなっていたっゲッソリ

しかも担任に報告して、警察が現着すると、その遺体がないっゲッソリ

さらに、一週間後S君は輪廻転成して○○にヘンゲして再登場ゲッソリ

そしてS君の告白「ぼくは自殺なんかじゃない!」ゲッソリ

しかも何のフラグなのか、足を折られたネコの死体を道中見てしまう。

実は彼の住むN町ではこの程そのような小動物の死体がいくつも発見され…

S君の訴えと無念を晴らそうと、ミチオ君、S君、そして

3歳の妹ミカちゃんの3人で事件の真相を探る、というもの。

 

これだけ聞くと、何か「スタンド・バイ・ミー」的な冒険物に

思うかもしれないが、とんでもない勘違い。

いや、冒頭から「あれ?」と首をかしげるほど、児童書にしては

グロいかな、辛辣じゃないかな、ちょっと不自然かな、

と幸先の怪しさを臭わせるところがちらつくんですよ。

 

それが物語本編に深入りすると一気に身の毛をむしり取るような

ホラーに転生ドクロ

ミステリーといえばそれこそ杉下右京みたいな

緻密な推論と、冷静な観察眼で真相を暴く、というのが醍醐味なのに、

本書は最後までリアルとファンタジーの境界線がないまま終わるのよ。

後味が悪いのだけど、ものすごく印象に残る一冊。

ミチオ君は最後近くでこう吐露します。

「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。

 自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、

 何かを忘れようとしてるじゃないか。」

自分の経験の「忘れたい」部分。これと向き合ったり、逃げ惑ったり、

否定したり…

この作品にテーマがあるとすればその辺かな。

旧約聖書の中に神がその民に対して、

「あなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」

と告げる場面があるんですが、つくづく強烈なメッセージだな、と

思いました。

 

解説で千街昌之なる氏が小難しい文章と専門家ならではの口調で、

本書が人間らしいクレーゾーンを前面に出した逸品だと讃えてます。

その中で彼は、主人公の捻れた主観とミステリー読者が期待する

客観的なオチとは「両立不可能ではない」し、作者道尾俊介は、

「両立しないという古くさい小説観の持ち主を、著者ははなから

相手にしていない」と評するんです。

確かに本書を読みながら、何か振り返りもせずに

話しを先へ先へ進めたがる冷淡さを感じていたんですが、

そういうことなのかな?ま、この解説が的を射ているなら、ですよ。

ある意味、いまどきの人間なんですかね。

面倒臭いやつは相手にしない。

ポストモダンの薄っぺらいところが著者のスタンスに

見え隠れしてんのかなぁ?

申し訳ないが、この人の本、もう一冊読むモチベーションは内在せず。

解説込みで470頁、ガッツリ長編ですが読み応えは間違いなくあります。

 

以上。新潮文庫の10冊、第一弾でしたぁ。