ご無沙汰してます。マスターです。
今日、某民放テレビ局(厳密には番組制作会社)より、だじゃれ王決定戦(仮)なる企画をやるそうで、その参加者を探していて、どこから聞きつけてきたのかマスターのところにも「出てみませんか」という連絡がありました。
まだ、候補者選びの段階で、わたしが出たいと言っても選ばれるかどうかもわかりませんが、もしかしたらテレビ出演ということになるかもしれません(笑)
詳細決まりましたら追ってお知らせしますので地デジで見てね。
ご無沙汰してます。マスターです。
今日、某民放テレビ局(厳密には番組制作会社)より、だじゃれ王決定戦(仮)なる企画をやるそうで、その参加者を探していて、どこから聞きつけてきたのかマスターのところにも「出てみませんか」という連絡がありました。
まだ、候補者選びの段階で、わたしが出たいと言っても選ばれるかどうかもわかりませんが、もしかしたらテレビ出演ということになるかもしれません(笑)
詳細決まりましたら追ってお知らせしますので地デジで見てね。
「D1だじゃれグランプリ」とはどんな大会なのか?ということを、今回あらためて考えてみる機会に恵まれました。
これから書くことはあくまでも独断と偏見によるマスターの私見です。
「D1だじゃれグランプリ」(長いので以下D1とします)とネーミングもそうですが、似たようなものに「B1グランプリ」という大会があります。
今、たいへんな人気らしいのですが、いわゆるご当時B級グルメの日本一(でいいのかな)を決める大会です。
わたしは、D1の存在はこの「B1グランプリ」なのかなと思いました。
つまり、「B1グランプリ」というのは、あくまでもB級グルメの日本一であって、料理全体の日本一決定戦ではないわけです。
あくまでも、B級グルメという限定されたカテゴリーでの戦いです。逆をいえば、「B1グランプリ」で優勝したからと言って、日本で一番おいしい料理に認定されたということではないわけです。
D1もそんな感じなのかなと。
つまり、だじゃれの日本一や名人決定戦ではなく、あくまでも、だじゃれという巨大なものの中にあるD1という即興だじゃれのパフォーマンス大会の一番を決める戦いのひとつにすぎないなのかなと気付いたのです。
30秒でだじゃれを言うとか、言葉の響きよりパフォーマンスが重視されるというのは、そもそもスタンダードルールではないわけです。あくまでもD1だけの限定ルールです。
D1以外の場で、「30秒でおもしろいだじゃれ言えないからおまえたいしたことない」とか「今のだじゃれパフォーマンスがイマイチ」とか、そんなこと言われるようなことはないですね。
つまりは、D1で優勝した人はあくまでも、D1という特殊なルールの中で行われた「D1だじゃれグランプリ」という大会の日本一であって、だじゃれの日本一ではないわけです(別に、D1優勝者にケチをつけているわけではないことは記事内容からご理解いただけると思います)
だじゃれというのはもっと自由で、幅広く、奥深いものですから、D1という狭い範囲でそのすべてを網羅できるわけではないのです。
そして、だじゃれ日本一を決める大会というのは、今はまだどこにもありません。
だから、現時点でのだじゃれ日本一はわたしかもしれないし、あなたかもしれません。
もし、いつかやるなら、それこそ、わたしが一連の記事に書いたように、だじゃれに精通した人が、厳格な判定基準のもと、真剣勝負の厳正な審査で、どこが評価されて勝ったのか、何が足らなかったから負けたのか、勝ったほうは負けたほうよりどこが優れていたのか、そこまで明確に言及できなければならないと思います。
もう少し身近な例で言えば、プロ野球にたとえると、「D1だじゃれグランプリ」は日本シリーズではなく、オールスター戦なのかな。
真剣勝負で日本一を決める戦いではなく、年に1回、だじゃれのオールスターが集まって試合をする夢のカードやお祭りのような感じです。
その中で、グランプリというMVPを決める戦いはありますけどね。
だからと言って、オールスター戦のMVPを獲得した選手が日本一のプロ野球選手とは限らないわけですね。あくまでも、このオールスター戦という特殊なルールの中で今回一番活躍した人です。
オールスター戦なら、審判のミスジャッジもあるだろうし、そのきわどい判定に食ってかかる選手なんかいないやね(笑)これが、日本シリーズというのなら話は別です。「ま、いいや」じゃ済みません。
だから、わたしは日本シリーズのつもりでオールスター戦に出場してたって感じかな。
大会が終わってから、苦悩の中で今回自分なりに出した結論がこれです。ただ、わたしは誰かの受け売りとかではなく、自分で考え抜いて導いた答えをいつも一番大切に考えています。
今回も、誰から何と言われようと、これを自分の確固たる答えとして持っておこうと思います。
ありがとうございます。
D1だじゃれグランプリ東京オープンが終わって3日(もうそんな経ったんだ・笑)、判定にどうしても納得がいかず、また、他の出場選手や観戦された方からも同様の声もあり、ひと晩寝れば大抵のことは忘れてしまう切り替えの得意なわたしとしては珍しく、傷心とモヤモヤした晴れない気持ちで今日まで引きずってきてしましました。
ただ、ここに思うところを正直に包み隠さず書くことで、少し心が軽くなり、また、自分の中でもどこに着地点を見い出すか、どうやって消化させるかという頭の整理ができました。
自分なりのひとつの結論が出ましたので、次にそれを記事にして、本件の総括はこれで終わりにしょうと思います。
では、また後で。
昨日、D1だじゃれグランプリの判定の難しさや疑問点について書きました。
その記事の中で「他でも判定は難しいよね」みたいな記述をしましたが、柔道でもこんなニュースがありました。
「疑惑の旗」判定
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/11/17/08.html
ふだんはこういうニュース読んでも「そうなんだ」くらいですが、今は選手の気持ち痛いほどわかります。
ちょっと仰々しいタイトルをつけましたが、D1だじゃれグランプリでは、なぜ会場や選手から「え~?」というような不可解な判定が出てしまうのか、これについてわたしなりの考えを書いてみようと思います。
まず、D1に限らず、スポーツでも演劇でも、審査員の評価によって点数や順位が決まるものというのは判定が難しいです。
ボクシングでもKOのときは誰が見ても勝敗がハッキリしますが、判定に持ち込まれた場合、特に僅差のときなど不可解に思える結果になることがあります。これは人間がやる以上、ある程度仕方ない部分はあると思います。
ただ、他のものは、審査員やその判定を下す人が、資格を持ったプロの審判だったり、そうでなくても、その競技や業界の師匠や、第一人者、現役の大御所など、その道に精通している実績のある関係者が務めます。
歌の審査なら、作詞や作曲家の先生やプロのベテラン歌手、音楽プロデューサーなど。演劇なら、演出家や脚本家、大物俳優などです。
それが、だじゃれの場合は、プロとか、第一人者、大御所など、その道をすでに極めたという先人がいないわけです(いるのかもしれませんが、どこにいるのかわかりません)
末高斗夢さんみたいな芸人さんもいらっしゃいますが、そもそもが「だじゃれ」という独立したカテゴリーがないわけです。
強いて言うなら、だじゃれのプロは落語家さんになるのかなと思います。それでも、落語のプロであって、だじゃれのプロではありません。
つまり、ことだじゃれに関しては、素人が素人を審査しなければならないわけです。
もちろん、今回の「D1だじゃれグランプリ」の主審を務められた中川会長はだじゃれの第一人者ですし、副審の藤本先生も大会に参加されて好成績を残された実績をお持ちの方ですので、ただの素人ではありません。
ただ、だからと言って、新人オーディションを受ける歌手と大御所の演歌歌手ほどの天と地ほどのだじゃれの力の差や実績が、出場選手たちとの間にあるわけではないと思うのです。
あたりまえですが、絵本作家としての確固たる地位をお持ちのプロですが、だじゃれのプロではありませんから。
それでも、お二人はいいと思いますが、他の審査員(審判)を務められる方は、ご自身がだじゃれの大会にも出られたこともないような、もしかしたら出場選手以上のおもしろいだじゃれを言ったことがあるのかどうかもわからないような方が含まれているのです。
それ自体は構いませんが、そうなると、出場選手たちはどんな物差しで測られるのかなという前の記事に書いたような素朴な疑問に行く着くわけなのです。
ここまで好き勝手に書いたので、失礼を承知で書きますが、好き嫌い(だじゃれのですよ。人のではなくね)や個々人の感覚じゃないのかなと思うのです。
だとしたら、明確な判定基準ではなく、好みや感覚で3人のうち2人が上げたほうが勝ちというのは出場者にとっては、少なくともわたしにはちょっとなという気がします。それも、先ほど書きましたように、プロとかではない方の感覚ですからね。
そうなってくると、やはり圧倒的な差がない限り、3人のうちの2人のごく少数意見ですから、大多数の人=観客や選手の感覚とは一致しないのかもしれません。
たとえばこういうことです。
100人くらいの人を集めて、3人のラーメン好きに「何ラーメンが好きか?」と聞いてみたところ、3人のうち2人が塩ラーメン、1人が醤油ラーメンだったとします。
だから、大半の人が塩ラーメンが好きということになるかと言えば、たまたま、代表した3人のうちの2人が塩だっただけで、大多数からは「えー?塩?ラーメンと言ったらやっぱり醤油でしょう」という、1人の審判しか上げていない意見のほうが多数派の場合が往々にしてあると思うのです。
つまり、D1だじゃれグランプリの判定はそんな感じかなと今思っているところです。
じゃあどういう方法にすればいいのかということになると、それはわたしが考えることや口を出すことは権限を超える余計なお世話になってしまいますので、この自分なりの勝手な分析までにとどめておきます。
あとは、現状そういうルールなんだからと従うか、それなら承服しかねるので今後もう参加しないことにするか、その選択だと思います。
去る11月14日(日)「D1だじゃれグランプリ東京オープン」が開催され、わたしも出場しました。
結果は昨年と同じ2回戦(ベスト16)敗退でした。
結果は仕方ないのですが、どうしても自分の中では判定に納得できないことがあるので、今回はこの「D1だじゃれグランプリ」の判定基準について考えてみたいと思います。
この話は自分の心の中に封印しようと思っていたのですが、また今年も起きてしまったので、封印を解いて昨年の「D1だじゃれグランプリ全国大会」の話をさかのぼってしたいと思います。
昨年、わたしは今年と同じ2回戦で敗れましたが、そのお題は「とんび」でした。
わたしは、バブルガムブラザースの♪W'ont be long」(=ウォンビーロンと聞こえると思います)。対戦相手は「飛んび行く」というだじゃれでした。
どうしても自分のほうをひいき目に見てしまいがちですが、しかし、わたしが客観的に見ても、「とんび」と「とんで」では、「び」と「で」の言葉の響きは似ていないため、だじゃれとしてはどうかなという気がします。
まだ、「ウォンビー」と「とんびー」のほうが言葉の響きは近いと思います。
しかし、判定結果は、2対1でわたしの負けでした。
もちろん、言葉の響きが近いほうがイコール勝ちではないでしょうが、「でも、それがだじゃれじゃないの?じゃあ、何で決まるの?」という疑問がこの1年ずっとわたしの中にありました。
それでも、「相手が子供だったし」とか、「審判が♪W!ont be longを知らなかったのかも」と、自分の中で消化して今年に挑みました。
そして今年です。
主審は中川ひろたか会長、副審が藤本ともひこ先生と長野ヒデ子先生でした。
主審の中川会長は2回のうち、わたしと対戦相手に1回ずつ旗を上げていただき、藤本先生は2回ともわたしに上げていただきましたが、長野先生は2回とも対戦相手に上げられました。
判定なので、別に上げていただけなかったことに文句をつけるつもりは毛頭ありません。それを決めるのが審判の任務ですから。
ただ、他の審判の先生は上げていただいているのに、長野先生からは1回も上がらないということは、わたしの作品のどこがだめだから上げていただけなかったのかそれが知りたいのです。
つまり、それがわからなければ、今後何度挑戦しても結果は同じことだと思うのです。実際、前回と同じ結果でした。
結果に一喜一憂するのではなく、うまくいかなかかったときは、なんでだめなのかという理由がわからなければ対策の立てようがないのです。
だじゃれの持つ言葉のおもしろさではなく、演技力だと言うのであれば、次は演技力を磨かかなければならず、今までやってきた練習は意味がないとまでは言いませんが、的外れだったということになります。
ではなく、だじゃれがおもしろくなかったということであれば、練習方法は間違っていませんでしたが、まだまだ足らなかったということになります。
これを評価いただけなかった長野先生に伺ってみたいのです。
このD1という競技は、突きつめて言えば、審判に旗を上げさせる(上げさせるという表現は適切ではないかもしれませんので)、旗を自分の側に上げてもらうにはどうすればいいのかということになると思います。
結局、それがわからないと、わたしのように何回出場しても同じ結果だと思うのです。
つまり、この競技の審判の「判定基準」は何のか?
それに即したもの、それに求められているものを披露しないといけないわけです。
もちろんこれは、ただ楽しむためではなく勝つためにはという大前提の上ですが。
ちょっと審判や審査方法に対する批判的な意見になってしまったと思いますが、おそらく、口には出さないけど、わたしと同じ悩みや疑問を抱いている出場者のみなさんもいらっしゃるものと思います。
また、これから参加される方がきっと同じような問題にぶち当たると思うのです。
自分自身のブログですから、言いたいことを飲み込んで、何もいいことばかり書き連ねる必要はないわけで、おかしいと疑問に感じることは、遠慮せず問題提起してみたいと思い記事にさせていただきました。
「D1だじゃれグランプリ東京オープン」が終了しました。
マスターの結果は、昨年同様1回戦は勝ち抜いたものの、2回戦(ベスト16)で敗退という結果でした。
ただ、「疑惑の判定」とまでは言いませんが、「これでこっちの勝ち?」と首を傾げたくなるような判定が多々あり、残念ながら全体的には盛り上がりに欠けた大会となってしまった感は否めませんでした。
出場者のだじゃれのレベルは非常に高く、みなさん純粋に頑張っているだけに残念でなりません。
わたしを含め、出場選手や運営スタッフのみなさんは大会に出るため、勝ち抜くために研鑽しているのですから、人の判定する以上、審判を努める方も出場者以上にだじゃれに精通してもらいたいなと切に思う次第です。
だじゃれを愛する者のひとりとして今回はあえて苦言を呈したいと思います。