第3巻目となるこちらの作品。
題名が「第二ファウンデーション」となっており、内容もまさに題名通りの展開となっておりました。

度肝を抜かれた、前巻の「ミュータント」である「ミュール」(私はずっとミューズだと思ってました)をめぐる展開。
その後の展開がまさにそのまま引き継がれた読み応えのある内容となっておりました。

今までの展開ではその時点、その時点で読み応えのある展開を見せても、それがひと段落すると続きはその50年後である、といった感じが多かっただけに、今回はそのまま引き継がれているのかと、違う意味でも感動してしまいました。

ただこれ、前作があまりに見事な展開であったため、あまりこのあたりを書いてしまうと、知らず知らずにネタバレを垂れ流しかねないのでこの辺にしておきましょう。

そんな感じのこちらの作品。

そもそも「第二ファウンデーション」なるものは存在するのか?
そもそも「第二ファウンデーション」なるものが存在するとしたら、それはどこにあるのか?
そもそも「第二ファウンデーション」とはなんなのか?
そもそも「第二ファウンデーション」を探している理由はなんなのか?

みたいなことを考えながらドキドキしてページをめくります。

そもそもこの物語の基本的な考え方は、300年ほど前に天才科学者であるハリ・セルダンが数学のツールを使って計算した結果と書かれておりました。

 

このあたりの考え方って、世の中の仕組みを考え出す人や、人々を導いていく立場の人たちにとっては、今も昔もこのあたりの考え方って不変のものなのでしょうが、私のようにその立場ではない者からすると、やはりすごいことだなと感じざるを得ません。

先日も「テクノリバタリアン」という作品を読んで、イーロン・マスク、ピーター・ティール、サム・アルトマン、ヴィタリック・ブテリン等々、テクノリバタリアンと言われている方々の根本的な考え方にある、数式や定理をもちいて導き出されたものを基本として物事を考える。

といったような表現がありました(あったと私は思ってます)。
その作品内では秘密結社という表現もされておりました。

ここで使われてた「秘密結社」という意味は、都市伝説的な意味合いのものではなく、知っている、気づいている人たちみたいな意味合いで使われておりました。

その方々はことごとく幼少期からこのようなSF作品に触れてきていた。
そしてそれは幼少期だけではなく、今なおこれらの世界に触れ続けているということに、なんか関係性があるのだろうなと。

といった感じのことを書いてみましたが、実際は「テクノリバタリアン」という作品に書かれていたことの3分の1もわからないまま読み終えてしまった。
ということをここで正直に書かせていただきましょう。

そんなことよりもこちらの作品です。

なんと、その「第二ファウンデーション」をめぐる物語は「ミュール」だけではなかったという話でもありました。
ページ数からすると、「だけではなかった」方の方が多いぐらいです。

多いぐらいですとまとめてしまってはダメなぐらいの展開なのですが、これは実際に自分で読んで自分で嚙みしめるべき内容。

SFというジャンルをはるかに超えた、もしかしたらこれを世界では「総合小説」というんだぜ。
って感じでしょうか、春樹さんはこういうことを言っていたのでしょうか?
といったそんな感じの作品でした。

堪能しました。
読めて良かったです。



以上です。