そこそこ前に出版された作品なのに、図書館で予約を入れたらそれなりに待たされてびっくりしました。

と、いきなり何を書いているのかという感じですが、こちらの「たゆたえども沈まず」という作品を読んでみましたので、その感想を残しておこうと思います。

原田さんの作品は「風神雷神」を読んで俵屋宗達にはまり、ちょうどその宗達を読んでいるときに出版された「リボルバー」を読んで以来の3作目。

とある番組で芦田愛菜さんがこちらの作品を読んだことがある、といった発言を聞き読んでみたくなり、読もうとしてから早半年以上経ちましたでしょうか。

といった感じで読み始めたこちらの作品。

こちらの作品、表紙があのゴッホさんの「星月夜」なんですね。

 

「星月夜」あれは素晴らしい作品だなあと、私ごときが何を言っているんだと思うぐらい素晴らしい作品だと思います。

私はこの絵と「最後の晩餐」だけは、死ぬまでに1度でいいので実際にこの目で見てみたいと思う作品。

「最後の晩餐」はこちらが行かないと無理でしょうけれども、「星月夜」はもしかしたら日本に来てくれるんじゃないか、と期待しているんですが難しいでしょうかね。

あとこの「星月夜」つながりでのエピソード1つだけ語らせていただくと、あの世界的な大ヒット作品とよばれている「三体」にこの作品がでてくるんですよ。
三体ⅡだかⅢだけで。

その登場の仕方が次元を減らしたらあんな感じになるといった感じで。
おそらく「???」だと思うのですが、読んでいるとこれがまた「星月夜」とマッチして鳥肌ものでした。

あれ以来あの鳥肌とあの感じを忘れずにいたいという思いで、スマホの背景にこの絵を設定させていただいております。

ということを気持ちよく書かせていただいてからのこちらの感想です

物語は舞台は19世紀後半の花の都パリ。
この時代のバリのことを、この言葉でこの作品は表現してくれてました。

「言葉はすぐに慣れる、ただこの景色にはいつまでたっても慣れることはできない。」

そんなパリを舞台に、フィンセント(いわゆる我々が思うゴッホさん)の弟さんと日本人画商視点で語られるこちらの物語。

内容もさることながら、当時の絵画のことや、日本の浮世絵のことについてなど、知れて嬉しい情報が盛り沢山。

例えば、当時のフランス芸術界隈では、「アカデミー」と呼ばれている、いわゆる芸術団体(おそらく王立絵画彫刻アカデミー)があり、その所属でないとしっかりとした取引ができなかったようです。

 

なんとなくどこにでもあるような世界のものが、もっとしっかりと正式なものとしてあったような世界。

そこで当時のアカデミーとは違った芸術作品を生み出す新進気鋭の方々を「印象派」と呼ぶようになり。
この印象派とアカデミー、そしてここに日本からの芸術作品である浮世絵を中心とした、日本芸術が良い感じで絡み合うという、私からすると歴史小説でもある作品。

そしてここに、生前のフィンセントが物語の中心となっていくといった感じ。
前に読んだ「リボルバー」という作品とは違ったフィンセントがここにいました。


そもそもこちらの作品を読もうと思ったきっかけとして、芦田愛菜さんの存在がありますが、もう少し詳しく書くと、芦田愛菜さんが出られているとある番組で、なぜ葛飾北斎を初めとした日本の浮世絵が、ヨーロッパに沢山あるのか?
という事象について、それはある日本人が大きく関わっている。

の、その日本人のことがこちらの作品に書かれているという事だったわけです。

そんな感じの視点でも大満足の内容でしたし、それ以外の物語そのものとしても大満足な内容でした。
読むことができて良かったです。

 

今私の頭には「テオ」、いや「テオドロス」という名前がずっと残っています。


以上です。