いい題名ですね。
なんだかこの聞いたことあるような、でもちょっと違うようなこの感じ。

かなり話題がずれてしまいますが、私は村上春樹さんの「国境の南、太陽の西」という作品が大好きなのですが、そんな大好きな作品であっても、もしかしたら「国境の北、太陽の東」、または「太陽の西、国境の南」だったかなといつも確認してしまいます。

今こうして3つを並べると間違えるわけないよなと思いもしますが、それ単体で見るととたんに自信がなくなるなさけなさ。
私は「国境の南」はメキシコ、「太陽の西」をバカボンと連想して覚えているつもりですが、国境が先か、太陽が先かのうまい連想がいまだできず。

メキシコの北だったか?、バカボンはあえて間違えているよな、では東か?
国境から始まっていた気がするが、太陽の方がスケールが大きいから先だったか?

すみません、話をこちらに戻して感想を書いてみたいと思います。

開いていきなり飛び込んでくるのが黒光りしたページ。
なんだか指紋がべったりと付きそうなので、恐る恐る開くとそこには、黒光りにも負けないようなえらく特徴のある名前。

一読したときには、これを名前と認識できませんでしたし、最後まで読むも結局覚えることはできませんでした。

といった感じで、普段とは違う雰囲気で読み始めたこちらの作品。

 

読み始めてすぐに、もしかしたら私が苦手なジャンルかも知れないと思ったのですが、下村さんの作品だし、苦手だと思い込んでいるだけかもしれないという気持ちで読み続けました。

そんな感じでこの作品を読んで思ったのが、どこまでが作者さんが意図していることなんだろうかということ。

少し話がずれてしまうように思いますが、先日お笑い芸人のパンサー向井さんとハライチの岩井さんの対談で、岩井さんがとある方を紹介するときに、この方は絶対に「裏笑い」しないところ。
と表現されておりました。

それを受けて向井さんも特に何かを質問していたような覚えがないので、共通の認識で使われている言葉なのでしょうけども、私は知らない言葉でした。

 

そこでの文脈では、意図したところでしっかりと笑ってくれて(おそらく表の笑い)、俺分かっているぜというところで笑わない(これをおそらく裏笑いと言っている)。
といった感じだと、私は理解しました。

これと同じようなことが、これこちらのミステリの世界でもあるんだろうなと、ふと思ったわけです
そんな感じを考えたのには少々わけがあって、私はどうでもいいことが気になってしまい、内容にどうしてもハマれないことが多い。

その私がどうでもいいと気になっているところは、作者さんが意図しているものなのかどうかという点。

例えば、今回の作品でいうとそのままですが、登場人物の名前が気になって仕方がないとか、先日読んだ作品ではリノベーションとリフォームを使い分けていて、どうでもいい気がしますけど、と気になって仕方がない。

あとこの作品ないでも、ほんの少しだけでてきますけど、子供の心配よりも推理を優先する行為。
といったような、私が求める物事の優先順位が違いすぎて感情の入れようがない。

あくまでも私が求めている優先順位という認識を持つようにしていますが、やはり合わないものは合わない。

といった感じのことで思い出しましたが、伊坂さんの「ゴールデンスランバー」。
あれ私は名作だと思うんですよ、あれの影響を受けて今だにエレベーターは親指でボタンを押すほどなのですが、あの名作を私の奥様はハマれませんでした。

理由を聞くと、そもそもあの事件に巻き込まれたのが、かわいそうでならないと。
ですので、その後読んでいても、あの事件さえなければこんなことに、とずっと考えてしまったとのこと。

そうなのか、いやそうだよなと。

自分はそう思わなかっただけで、そのように感じる人もいるよねと。
むしろあれが自分の恋人だったら、もしあれが自分の子供だったらの視点を持って読むのが当たり前なのかもしれないと。
いまさらながら。


といった感じの感想となってしまいました。


以上です。