読み終わってみると「なんだこれは」。

といった感じの作品が多いと勝手に思っているのですが、ついつい手を出してしまう長浦京さんの作品。

そして、どうしてもいまだに「京」を「ケイ」と読んでしまうのですが、これについて少し思い出すことがあります。

 

たしか門井さんの作品に書かれていたと思うのですが、「東京」は「トウケイ」と読むのが正しいのだと思うと門井さんは言ってました。

音読みと訓読みがあり、これらを混じらせないのは私も知るところでしたが、音読みには2種類あるとのことでした。
たしか今の北京語と広東語のような感じで、一つの文字内でこの2つが混じることは本来ないのだそう。

つまり、「東」を「トウ」と読むなら、「京」は「ケイ」なんだと。
これでどちらかに統一されていると。
(かなり心配なので、少し調べたら「漢音」と「呉音」とのことでした。)

そもそも大久保利通等がいた時代は「トウケイ」と読んでいたのではないかと。
あの時代の知識人がこんな初歩的な間違いをするはずがないと。

言っていたことを思い出しました。

これに関してはとても感じいったことを思い出します。
が、長浦さんの名前をずっと間違えていることとは全く関係ないですね。

あと、素朴にもともと「京」を「キョウ」と呼ぶ地域があり、それを東に持ってきたので、「ひがしキョウ」では訓音になってしまうので、「トウキョウ」になったのでは?
という素人考えも払拭されたわけでもないのですが。

なんて作品とは関係ないことを滔々と書かせていただきましたが、こちらの作品の舞台はまさにその「東京」、それも1947年の連合国軍占領下の東京です。

 

その東京で繰り広げられる、まるでアクション映画か、と思われるような場面を中心に物語は進みます。

そのアクション自体に私はあまり興味がないのと、そもそも主人公の方がこの物語を進めるうえでの動機とキャラクターはどうなんだ、といった感じでなのでこれは読むのを止めようと思ったのですが、そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのが「GHQ」でした。

いきなり略語を使ってしまって申し訳ございません。
連合国軍最高司令官総司令部、略して「GHQ」。

この団体のやっていること、やったとされていること、この作中でやろうとしていることがとても面白く描かれているんです。

 

そして今もアメリカを代表するような秘密組織(ここまで堂々とした秘密な組織はそうないのではないでしょうか)である「中央情報局」そう「CIA」も登場です。

今から約80年前のCIAってとても興味ありますね。

そこにわが日本の戦前、戦中、戦後の闇や秘密事項が関わってくるんですから、とんでもなく面白いわけです。

そんな中の一つで、栃木県の大谷石採掘場についてでてくるんですが、このあたりの話なんて本当にドキドキしてしまいます。

 

目的は違うのでしょうが、埼玉県の吉見百穴あたりにも、この手の話は聞いたことがあったりと、真意はわからずとも何らかの目的があって何かをしていたのだな、という遺物はまだまだ残されてますね。

といった戦中や戦後の闇を感じつつも、やはりというややれやれというか、相も変わらず人は良く死にますし、なんとなく超人的な方は超人的すぎますしで、しっかりと長浦さんを感じることができる作品。

いろいろな立場の方々が、いろいろと触れてほしくないと思っているであろうことを触りまくっているように感じるこちらの作品。
もしこれが映画化されて、それを見終えたときに何を一番印象に残すだろうと。

ということを考えてこちらの感想を終わりにしたいと思います。


以上です。