吉野朝と聞いて、これを南北朝時代の南朝のことだとすぐに思い浮かべることができないレベルである私がこの作品を読んでみましたので、その感想を残しておこうと思います。

その前に私の歴史知識について、私は大学受験を日本史で受験したこともあり学生時代はそれなりに日本史の勉強をし、学生時代に司馬遼太郎さんにはまり、今の今まで歴史には小説であるもののそれなりに触れてきていると認識しているのですが、この南北朝時代については本当に覚えられない。

建武の新政、後醍醐天皇と足利家が争って南北朝時代が訪れたことはわかります。
ただこれ、ぱっとどっちがどっちでといつも逆に思ってしまいます。

良く考えれば室町は京都、ではその京都の南は奈良とわかるのですが、ぱっと思い浮かべるのは後醍醐天皇は京都つまり北、その相手はだれであろうと京以外つまりは南。
みたいな発想がいまだぬぐえないのです。

これ大変失礼な話ですが、後醍醐天皇VS足利尊氏みたない感じで天皇VS将軍って構図で覚えてしまっているので、天皇VS天皇という発想にならないことが原因なんではないかと今になってふと感じた次第です。
そして関係ないですが、のちの江戸幕末の際には、この時に天皇に刃を向けたとして足利家を落とし、楠木正成を上げるみたいな論調にもつながるという私としてはとても不思議な展開。

「南側の方々は北側にいる天皇に刃を向けたことにはならないのかい?」と思ったのは私だけではないはず。

といった感じでこちらの作品の感想を少しだけ残しておきたいと思います。
時代は室町幕府6代将軍足利義教の時代。

このころにはすでに北朝に統一されており、南朝側に天皇はいない時代。
そして読んでいて驚くぐらい足利将軍が好き勝手出来ていたような時代として描かれておりました。

この将軍、当時から「籤引き将軍」として有名で、4人の候補の中から籤で選ばれて将軍になられたという経歴の持ち主。
そしてこの作品では、そんな将軍からの視点も多々あり、3代将軍義満の息子で仏門にはいり、その世界が水にあったのか天台座主という立場にまで昇り詰める仏門の世界でのエリート。
ただ仏門界のエリートが将軍になったところ色々と思うことあり恐怖政治をおこなうような独裁者になりましたと。

これこの作品を読んでいて気づいたのですが、当時学問の最先端といってもいい場所で学問と神仏の教えを習得し、そしてその世界で認められた立場にまでなった方。
そのような方があの当時の神様による籤引きで(おそらく今の籤引きのイメージとは全く異なると考えられるような状況)選ばれたにも関わらず、その当時ですら「籤引き将軍だ」「独裁者だ」といわれるような立場になってしまうと。
これは本当に人が政治を行うことの難しさを知るうえでとても貴重な事例だよなと感じ入りました。

といったようなそんな独裁者を何とか仕様みたいな感じの作品だと思っていたのですが。。。

こちらの作品、色々な方々の視点がありその視点ごとにとても楽しめる一方、結局だれが何を語りたかったのかという感じで終わってしまい、私としては全体的にぼんやりとした作品だなと感じました。
色々あっての最後を迎えると思うのですが、その最後の迎え方がなんとなく納得感を得られなかったといいますか、ダブルゼータガンダムという作品を思い出してしまうような終わり方で、申し訳ないですが読んでいてとても長く感じた作品でした。

あなたにとっては吐き気を催すほど嫌なことなのかもしれませんが、それを民のため、社会のため、未来の子供たちのためにやられている方もいるというところにもう少し考慮があっても良かったように思います。


以上です。