長男が今度TOEFL Jr.を受けることになり、試験の内容がよく分からないので、本をフリマで買って、どんなもんかチェック。



あんまりテストに重きを置いていないので、長男にとって良い経験になればと。


語学テスト(英語なら英検やTOEIC、日本語ならJLPT)の結果と実際の運用能力のマッチ率はあまり高くないんだなと


教育実習を終えて思ったことである。


学習者たちとフリートークなどで話していて、しみじみ思っていたのが


ああ、とても一生懸命、勉強したんだろうな、すごいな!!きっととても賢くて、論文とか書いたら、私なんて足元にも及ばないんだろうな。


でも、、


とにかくかたいな。のひと言に尽きた。


よほど親切な人じゃないと、わざわざ会話の流れを止めてまで、こっちの方がナチュラな言い方だよ!そんな言い方は会話ではあまりしないよ!


なんて、指摘はしないだろうし、コミュニケーションが成り立つのも事実だけど


そこはどこまでのレベルまで求めているかを、本人の希望によってレッスンしながら合わせていくしかないんだろうなと。


皆、JLPTのN1(英検でいうと1級みたいな)は持っているけれど、私の肌感では


コミュニケーションには問題ないけれど、発音やイントネーション、リズム、ワードチョイス含めて運用能力は中の上だなと。(私個人でクラスのレベルが采配できる状況ならば)


いくら正しい文法や語彙を知っていたとしても、それを状況に合わせて、運用できる能力というのを待ち合わせるのは


もはや経験なのかなと。


学習者(中国)のうちの1人が言っていた言葉で、激しく同意だなとなったのが


初級の人はネイティブじゃない人(日本語を学んだ中国人)から体系的に教えてもらうのも効果的だけど


ある程度のレベル(中上級)まで来ると、あとはネイティブ(彼からすると日本人)と、ひたすらやりとりして、ナチュラルな表現や音を吸い取りたい。


じゃないと、僕の理想とするレベルにはいけないと思う。と。


ちなみにそのレベルと言うのが


ネイティブと話していて、ネイティブが


「この人は外国人だけど、【外国人】という、フィルターはいらないな」


と思い、ナチュラルに忖度なしに聞いてくれ、話してくれる状態らしい。


確かにそのレベルまで達すると、ネイティブじゃないけれど、運用能力に問題ないと思えるのかも。


ま、なんだかんだいって、語学なんてしょせんはツールなんだから、本人がその環境で必要だと思えば運用能力は必然的に上がっていくだろうし


ただのコミュニケーションツールでいい環境にいれば、それでいいだろうし


運用能力でその人自身の価値が決まるわけでもなんでもないし、その人が自分を卑下する必要もまったくない。


ただ、身近で運用能力の高い人がいると、その芝生はとかく青く光って見えてしまうという罠にひっかかるってもんで、、


私の場合は夫だけど笑。


ま、私の場合は運用能力どころの話じゃないんやけど!爆


先日なんて、次男にマミーのdanceは違うと笑われ


夫には、子どもたちはそういう音の世界で生きてるから、しょうがないよ。そもそも、正確さの話で言うと、そるてぃーのは大体どの音も違うよ?


はっきり言うやんか笑


ま、いーじゃん!そんなもんどーでも。Who cares?じゃん。


なんて、言われたけれど


I careやん!


分かった分かった!

danceのaね、知ってる知ってる。(投げやり笑)


でも、ま、えーねん。


大体通じてたら、それでえーわ、もう。


はい、この辺がワタシである笑。