ネパール・タイ 子連れ放浪記~我が人生、4130メートル~ -45ページ目
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Vol.1 【私の旅録】

【退職を決意。始まりは2008年10月1日】


初めまして、こんにちは。

今さらのブログデビューでございます。

さて、ところで、何を記するべきか悩むところです。

何でブログが流行っているのか悩むところです。

PCもそんなに得意ではなく、日記って、メンドクサイ。

ブログをやるなら、既に日記帳を付けていただろう!

私は、こんな昭和なオッちゃんです。





最近ではネパールも珍しくない。

バックパッカーの放浪本も沢山出版され、若者もどんどん旅立っている。

これ、始まりは”深夜特急”の影響なのだろうか?

日本に居場所がないのか?いてもしょうがないのか?

言っている事自体が古いかなァ。





人それぞれ色んな旅がある。

出かけることだけが旅でもない。

私の旅録。

私の4,130M物語。

もっと言うと私の価値観、んんんんん~。生命観、人生観。社会観。私の居場所?????。

なんと表現するか?

私の命の使い方かなァ。

こういう立場になると物事に理由がないと彷徨ってしまう。

そんな思いが、今回の旅を通じて表現出来ればうれしいな。

もっと記憶が新鮮なうちに表に出せば良かったのだろうが、

文章表現できるかなァ。

1年遅れ、2年遅れで”2008年10月1日”からの私自身を暴露していきたいと思います。

旅に出る前に、私が欲しかった情報、ガイドブックでもネットでも得られなかった情報、幼児の渡航記録、特に幼児の登山・トレッキング記録が全くない。これらを中心に写真を大きく、豊富に使って書いていきます。初めてのトレッキング(2001年)は情報も少なく、ドキュメント本(文章)で収集しました。そこに写真が見れると想像も豊かになります。そして、今はネット社会で世界も結ばれている。この暴露記録が幼児から年配者までの不安要素を少しでも和らげることができ、”願望”が”現実”に繋がれればこれから出発する旅の価値にさらに付加価値が出てくる。

今の私があるのは、ヒマラヤ・アンナプルナから生まれた事。

私の旅録の始まりです。




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2005~2008年。

プロの写真業界は、写真フィルム、印刷、PC、デジタル画像が混在し、毎春になるとキャノンやニコンからは高画質なデジタルカメラ(EOS-1MarkⅢ、EOS-5D、EOS-50D、D3、D700、D300)の発売、アップル社のマッキントッシュからも追って拡張されたPCが次々に発売され、高品質を得意とするアナログ写真よりも合理性を問うデジタルの世界に変貌を余儀なくされていった。


もう少しわかりやすく言うと、これまでの写真業界では、プロラボと写真フィルムメーカーの世界であったところに突如、アップル社が現れた。カメラ業界も20~50万画素クラスののデジタルカメラが存在し始め、画期的な世界が出現した。

本来、この時点では伸び悩んでいた時代で、何が火に油を注いだかというと、ウィンドウズではなくアップル社である。半年単位でスペックの高い新製品を限りなく出し続け、これにどのメーカーよりも密接な関係が成り立ったのがカメラメーカーであり、全くフィルムの現像というプロセスを無視した加速で進化して行った。

”真珠湾攻撃”みたいなもので、大手の現像所は、未だに主導権を握ることが出来ていない。


2008年10月1日。

事業縮小から人員縮小へ。

企業等の広告媒体全てが縮小時代に入り、この影響をまともに受けたのが写真業界。その中で2008年、プロラボ業界、富士フィルム社、日本Kodak社、アグファ社は、やむを得ずの大規模な人員整理を行った。


プロラボのプライド。

写真って何だろう?

広報伝達を目的とする写真、かたや作家活動を目的とする写真。

”写真”とは、マスメディアであろうがなかろうが”真実を写す”べきで、まさに銀鉛フィルムというのは忠実に肉眼で捕らえたものをコピーしてくれる。いわゆる歴史の切り取りである。


私がこれまで仕事として求めていたのは、”その真実をどれだけ忠実に表現できるか!そしてどこまでその作家の代弁者になれるか”である。

ただ、これは結局は個人の価値観となり、会社は時代の影響もあり営利第一主義に走った。

私の中では葛藤の毎日である。要するに接客時間を要するクオリティー重視か時間をかけずにお客をさばく多売重視かである。

そして、カメラマンなどの作家の要望に応えられる営業マンが去り、営業マンの指示に応えられる写真職人も去った。(プロカメラマン市場の大半は商業カメラマンであるが、実質、作家である。1枚の広告写真は立派な単作品なのである)長い間勤め上げてきた職人的存在を会社はなぜ引き止めないんだろう?要領のいい?若手の新世代ばかりが残った。

プロラボマンとしてのプライド、自身の存在にも疑問を持つようになり、2008年10月1日退職を決意した。


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