ネパール・タイ 子連れ放浪記~我が人生、4130メートル~ -44ページ目

Vol.4 【ヒマラヤへ向けての考え方と準備-1】

随分と悩んだ結果、ヒマラヤへは家族と一緒に行くことにした。

旅費は、数年前から貯め続けている定年後に行くためのネパール旅積立金を前借し充当した。

つまり、42歳で本来55歳で味わうべき経験を先取りするということで、それに恥じない行動をしなければならない事を意味する。


一人旅ならネパールからパスでインドへ渡り、ダージリンヒマラヤ鉄道でダージリンへ行くつもりだったが、2歳児の子連れのため自粛した。

この時点での大まかな旅の目的は、

①念願であるアンナプルナベースキャンプ(標高4,130M)の地に立ち、サンクチュアリーの吐息を受けとめ、息子とともに瞑想する。

②同じく標高4,130Mの地に息子とともに立ち、親と同じ体感をし感動を共有する。


さて、大変な事になった。この2点が最低限の旅の目的。

目的を実行(成功)させるために、2歳児の渡航情報、4,000mの情報を集めた。


アジアの旅生活については、”根本きこ”サンの子連れ旅がぴったりと参考になった。

確か、お子さんも同じく2、3歳でベビーカーでの放浪旅。

・放浪のために選んだベビーカー

・アジアでの幼児との行動の取り方

・アジアでの日常生活の仕方(特にオムツなど)

・幼児向けの体調管理と常備薬

・飛行機の中での幼児との過ごし方

・アジア料理の食し方 など


ただし、トレッキングについては、いくら探しても、4,000Mの地に2歳児が立ったという記録が出てこない。

知りたい事は、

・どうやって連れて行くか?
・幼児の食べ物と飲料水

・山中での排便処理(オムツなど)

・大人も含めて幼児の高山病対策

・その他、下痢などの病気対策と常備薬

・幼児の防寒対策

・幼児の就寝対策 など


結局、最後まで登山記録は出てこなかった。

日本での冬山登山を想定し大人向けの対策で準備をすることにした。


それと、内容より先に航空券を確保しなければならない。

渡航期間を決めるために、まずアンナプルナトレッキングを想定した。

一般的には、大人で最低8日間はかかる行程。

これを2歳児がいるため、トラブル、標高への順応速度と期間を考え単純に大人の倍を想定して20日間とした。

そして、これに放浪する期間を安易に10日間とし、合計30日間を基準に出発日を決め、航空機のスケジュールと照らし合わせ、実際の渡航期間を決めることにした。


そしてまた、渡航時期はヒマラヤの乾季に合わせて2月とし、会社の有給休暇の累積の36日間を2月末にし、5号休日、土日祝日を含め逆算すると会社の出勤最終日が自然に決定した。


1月から2月の間に30日間の航空券を確保しよう。


Vol.3 【ヒマラヤに向けての考え方と準備】

【ヒマラヤ行きを決意】


さて、ところで実は私の家族は、妻と2歳6ヶ月の息子である。


生活面で不安、不安。気持ちは重いのに前向きな気持ちの方が強い。


旅費と家族のことを考える。

一人で行くべきか?家族で行くべきか?

旅の価値観をどこに置くか?何のために行くか?

一人旅もいい。小回りがきき、無茶も出来る。

旅費に対して価値感を何倍にするかは自分次第。

家族旅もまたいい。ただ、2歳児がネパールの生活に馴染めるか?2歳児本人に価値を与えるにはどうすれば良いかを悩んだ。


【旅の目的】

①目的は、私個人の自己啓発である。私自身が何か答えを出して帰国しなければならない。

②私の人力で息子をヒマラヤの地に立たせ、共に感じることを共有したい。

  2歳の息子については、実質親の都合で連れて行くのだが、何とかして息子個人としての価値、旅をさせたい。

ただ、絶対的に2歳児の記憶には残らないだろう。どうすれば良いか?随分悩んだ。

とにかく、いかなる手段で記憶、記録を残し、何でこの旅をすることになったか?将来もう一度この旅の話をする。

そして、本人の意思でその足跡を辿る一人旅をさせる。

そうする事で、親として私の全てを教えることにもつなげられるだろう。と考えた。



考えた末、家族で行くことを決意した。

Vol.2 【退職を決意-2】

2008年10月10日

【退職の決意】

所長との個人面談。


遠回りな話が続く中、何故かすがすがしい直感があった。後にも先にもない最高のタイミングを感じた。

生活面での不安を無視すれば、退職するなら今しかない。

他の部署への異動?20年も営業をやってきてそんな気はもうとう無い。現在の担当職務で全力を尽くすことを口頭で伝えた。

会社の意向に反する事は退職を意味することであり同時に退職の意思を伝えた。


ただ、いつ辞めるか?何でやめるか?

会社の都合では辞めたくない。

退職日については少し時間をもらった。


当時の担当の職は、企業の新規開拓。

正直、思うように事が運ばず苦戦中の苦手分野である。

広告・広報の”写真”の扱い方も”管理(アナログ)”から”運用(デジタル)”に変わりつつあり、企業も膨大な写真資料(資産)をどういう風に管理していくか?転換期に入った頃である。


販促課として提案型の空をつかむような営業で飛び込み続けた。

苦手分野であればこそ見えない自分を引き出し最後の舞台としてふさわしいと考えた。

今思えば、もし他の部署に異動していれば悔いを残した会社になっていただろう。


新規開拓活動、つまり自身の日々のスケジュールは白紙であったため、営業の合間を利用し辞するための自己啓発も心がけた。

例えば、興味のある業界のセミナーにも積極的に参加し情報収集をしたり、就活も何社か行った。

例えば、㈱好日山荘(2008年11月)。

自身の登山経験を活かそうと考えたが、書類選考で落選した。


何で”面接選考”までいかないのか?

履歴書だけで何がわかるのだろう!?

この就活で、考え方も変わった。いや社会の現状を気づかせてくれた。


ちょうどこの年は、世界大恐慌の真っ只中、1,000人、10,000人規模で日本の企業だけでなく世界規模で人員削減があり、過去に類のない失業率。

私は、ある意味これは”無”の期間である。と悟った。

1対1000、勝てるわけが無い。

就職できる確立と期間を考えた。

インスピレーション!このタイミング、きっと何か意味があるはず!


この就活の労力を今しか出来ないことに費やすべきだ。

自身を白紙に戻し、自分の進むべき道をもう一度洗い直す。

2007年に中田英寿が引退し、そういえば自分探しの世界旅を始めたのが頭に浮かんだ。

そして、以前3年前に計画し実行できなかったヒマラヤ行きを当然のように決めた。


ヒマラヤが決まった瞬間、プロラボの退社日が決まった。

要するにネパールの乾季に合わせ、日本の年度始まりの帰国を考え、2月28日とした。まったく自分勝手な退社日である。

当然、会社の有給休暇消化(36日間)も利用し、渡航期間を決めた。


慌てて、航空券をネットで探した。

・マップツアー

・H.I.S.

・風の旅行社

・JTB(最大手なのに意外と安いので必ずチェック) など


結局一番安かったH.I.S.(茨木)に駆け込んだ。

(すでにこの時で2009年1月10日)。


・日本出国:2009年2月 7日

・日本帰国:2009年3月13日


(2月28日の退職記念日は無視)