駅のベンチに座って人を待っていると思っている女がいる。

彼女はいったい誰を待っているのだろうか。

いつも買物袋を下げて冷たい駅のベンチに腰掛けて待っているのだった。

もしかしたら私は人を待っているのではないのかも分からない。
それは私が人間嫌いであるからだ。どうしてお世辞を言ってまで人と付き合う必要があるのか。私は嘘つきなのです。

確かに場合によってはであるが私も嘘をつく事はあるが年がら年中もし嘘をついていたらそう言う気持ちになるのかも分からない。

その嘘が絡まって長い年月の間に自己嫌悪に陥ってしまうのだろう。人は何と言ういきものだろうかと思ってしまう。

そして自分が嫌になり最後には世の中すらいやになってしまうという悪循環。

戦争になって家の中でぼんやりしている事が出来なくなって今までの自分の生活に自信が持てなくなるのです。

誰か現れて声をかけて欲しいと思う期待に似た気持ちとどうしたらいいのかと言う恐怖が入り交じるシーンがある。

そこであえて場所は教えないとある。最後はいつかあなたは、私を見かけるという言葉で締めくくられていた。

太宰はどうしてこの短編を書いたのだろうか。これにはどういう意図が秘められているのだろうか。どうして女は誰かを待っているのだろうか。女の心情は描かれてあるが肝心の要点がぼかしてあるのでそれは結論づけるわけにはいかない。


読んだ各人の気持ちの問題でもあると突き放したような小説である。

しかしこの短編は妙に私の心の襞をかすめて記憶に残る作品となってしまった。