はっきり言ってきりぎりすを含めた二つの短編ではあるが女の気持ちをこうも切々と書かれてしまってはわたしはどう受け止めていいのか分からなくなってしまうではないか。

嫌分からない訳ではない。女の自分を弁護する気持ちにどうしようもない思いを抱いてしまっていた。そして家族の幸せとはいったい。

燈籠と言うタイトルからしてもっと違った短編であろうと思っていたが太宰はこんな小説を私に叩き付けて来たとまで錯覚してしまった。

盗みの話である。それも二十四歳の女の話である。

両親から深い愛情を持って育てられて来た女。

男の海水着を盗むという描写。泥棒と呼ぶ大きな声。いきなり頬を殴られてしまう。交番に連れて行かれる。浴衣の裾から出た膝小僧。浅ましい姿だと知る事の哀れさ。

人並みの支度をして海へやろうと思っただけなのに、私は決して自分の水着を盗んだ訳ではないという言い訳はいっさい出てこなかった。

それがどうして悪い事なの?ちょっと手が動いただけなのにどうして私は攻められているの?私は弱い両親をいたわって来たではないですか。

それとこれとは全く関係ないような気もするが。もしかしたら女とはそうやって自己弁護をするのかもしれないと思わずにはいられなかった。

それがどうしたのよと気持ちの中で言い放ちながら私はきっと気が違っていたのでしょうと冷めたような気持ちで言う女心の儚さとでも言ったらいいのだろうか。

迎えに来た父は叱る訳でもなく叩かれなかったかと心配までしてくれた。このシーンは私は大好きである。

翌日の朝刊にその事が出ていた事で耳たぶを赤らめて動揺する女。

毒薬が近くにおいてあったら何の躊躇もしないで飲んだものを。嘘付け(これは私の心の叫びである)

そして母の行動が興味深く写った。電灯に手をかざしてああまぶしい、まぶしいと大変うきうきとはしゃいでいる描写。それは娘を思う母の気持ちの現れであろうか。こんな描写ちょっとないよね。やはり太宰だよね。

最後は静かな喜びが胸に込み上げて来たで締めくくられている。家族のひと時の幸せをかみしめているのだろう。それにしても喜びなんて。私だったらそんな愚かな真似はしないがずっと後悔して自分を責め続けていると思う。

何と言う短編なのだろうか。太宰らしいと言えば言えなくもないがその根底にはやはりあの人間失格の雰囲気が漂っているのを感じていた。

これを読んでも私の気持ちはいつものようにこれってこう思ったからなんだねという事はひとつも浮かばなかった。芥川だったら思うのにね。

それはまるで人の気持ちを最初から受け付けないような雰囲気で書かれた小説だと思った。

入り込める余地のない文章ではあるがそれでも気持ちには残るものである。