今年81歳になり、明日 今年3回目の手術を受ける予定だ。
ぶっちゃけ前回、前々回の手術は失敗だった。
特に前回は酷いものだった。
詳細は省くが おそらく訴訟案件だったのではないかと思っている。
だが、今後もこの先生にお世話になる可能性が非常に高い為 波風立てずに済ますことにしたようだ。
両親は 第一子を亡くしている。私のすぐ上の兄だ。
産まれてすぐ亡くなったので 私は会ったこともないし 母でさえ顔を見ていないという。
母と対面させなかったのは 父の思いやりだったのだろう。
今とは少し 価値観が違う気がするが その時の父の判断を非難するつもりは毛頭ない。
一年後、そんな両親の元、元気一杯の私が誕生した。
父はそれはそれは私を可愛がった。
目の中に入れても痛くない。どころではなく、私は“ 父の目の中育ち ” だと言われていた。
幼い頃、遊びに連れて行ってくれたのは父だった。
アルバムを開けば、父との思い出が溢れかえっている。
そんな父。
入院前は 1週間に2度も3度も 救急外来に走った。
1日に3回走ったこともある。
私達 兄弟3人。
文字通り何の不自由もなく暮らしてきた。
食べたい物はもちろん、習い事、進学、車などほぼ苦労なく買い与えられていた。
先日父の見舞いに行った際、
「 お前達が 今後も車を替える時に困らないように どうするか考えている」と言われた。
少々恥ずかしいが、全員アラフィフである
私達兄弟は 車がなくては仕事ができない。
それを心配しての言葉であるが、
父の有り難みを噛み締めた一言だった。
父のいない世界を 考えた事もなかったが、順番通りなら それも覚悟しなければならない歳である。
どれ程 スネをかじりまくっていたか、どれだけ大きな傘に守られてきたか、…。
そんな父に 親孝行はまだまだできてはいない。
親不孝ばかりしている私達を 責めもせず いつも味方でいてくれる父。
私達が 楽しそうにしてるのを見るのが一番嬉しいんだ。と言ってくれる父。
母子家庭だった私の子供達の 父親代わりになってくれた父。
明日の手術は是が非でも成功してもらわないと困る。
「 丁度ズンバの時間と重なるから、付き添いは母親と妹に任せるわね
」
と、言っていたが
私、ちゃんと付き添うからね。
絶対絶対頑張って 一緒に天ぷら食べに行こうよね。
今夜は眠れない夜になりそうだ………と思ったが、
明日の付き添いは 何時間になるかわからない。
体力勝負だ。
さっさとお風呂に入って とっとと寝ようと思う