先日のおうち整体理事まーくさんの
ブログの内容が、自分の中ではドンピシャでした。
大祓という行事は「罪」と「穢れ」を払い清浄へと導くものだそうですが…。その「罪」と「穢れ」は自分の心の中にあり、自分自身でしか取り除くことは出来ません。誰かにお願いしても、何かに頼ってもダメで、自分でしか払うことは出来ないのです。
先日11/3に開催された、
こころセラピスト 連休集中講座・宇宙の法則編。
もう何回も聞いてる内容の講座なんですが、
興味や必要を感じなくても
ここべん行くチャンスが出来たら
パブロフ犬的に反応してすかさず行く
そんな体になってしまった私は、
当然のように三茶に行きました。
内容は「3回目/唯心」「4回目/諸行無常」
本当は「2回目/中道」が
聞きたかったんです。
3、4回目はどっちもだいたい
分かってきた内容でそれほど必要ない…
と。
お も って た 私 は アホ だった。
知ってる分かってると思ったら、そこで終わる
死刑囚の歌人 島秋人の話。
掃除をするようブッダに教えられた弟子、
周梨槃特(シュリハンドク)の話。
もう3回くらいは聞いてます。
でも今まで私は
死刑を迎える前夜に
感謝の歌を詠めるということが
どれほど凄いことか、
何故そんな心境になれたのか、
「全然分かってなかったことを分かってなかった」と、この受講で初めて気づきました。
前2回では聞いて流れなかった涙が
流れました。
周梨槃特の尊さと、
塵を払うことを教えた
ブッダの導きの意味も、
「ただのお話」としてしか
聞いていなかったんです。
心の汚れをなぜ塵に例えるのか?
色んな例え話をするブッダの事だし
偶々だ…と思っていたけれどそうではない。
なぜブッダは周梨槃特だけに
延々掃除をさせたのか?
周梨槃特はどうして掃除で悟りに至れたのか?
冒頭の大祓の話につながっていくのですが
全部意味があることなんですね。
私が
「知ってるつもりになって、
ここセラ行くのサボる」
可能性もありましたが…
その「知ってるつもり」な気持ち自体が、
「塵」です。
できてる「つもり」で放置するから、
塵は積もっていくのです。
「一生学び」「涅槃には限りがない」
と教わりましたが、本当にそうだ!
「同じ話を何回も聞きにいくなんて…?」
という顔をする人もいますが、
今の「分かった」を乗り越えて、
さらに高いところにある宝を
掴みにいくことが、
自分の限界を超えることにつながります。
何回も聴きに行くからこそ掴めるものが
この世にはあるのです。
無駄だとか、つまらないとか
そう感じる時は 自分の心に塵が
積もっているかも…と
気をつける必要がありそうです。
