こんにちは、Manyuです。

 

雛人形おひな様の夢:その1

の続き?です。

 

 

その1では、

ひな祭りエピソードから父の話等になりました。

 

本来ならこちらの話を載せる予定だったのに、

なぜか脱線。

 

本線?に戻そうと思います。

 

*☆*:;;;:*☆*
 

私の母は、

上に兄、下に弟の三兄弟。

真ん中一人で女の子でした。

 

そのためか、

祖父は母のことをたいそうかわいがっていたと思います。

 

また、その夫である父のことも、

とても大事にしてくれていました。

 

そして、初孫である私は、

それはそれはもう、

目に入れても痛くないくらいのかわいがりようだったと思います。

 

 

ただ、祖父は今でいうアルコール依存症だったのでしょう。

お酒を飲んではあばれ、

祖母は相当大変だったようです。

*ある日、出て行ってしまいました。

でも曾祖母の計らいで、連絡は取り続けていました。

 

 

その祖父の暴れっぷりは、

今回は置いておいて。

 

 

祖父は、

大工だったのですが、

給料日のたびに我が家に遊びに来て、

最寄駅で待ち合わせをして、

駅前商店街のおもちゃ屋さんで、

私におもちゃを買ってくれていました。

 

 

ひな人形もしかり。

 

D850さんによる写真ACからの写真 

 

こんな感じの豪華な七段飾りの

ひな人形を持っていました。       

 

そう、持っていた(過去形)のです。

 

 

私の生家は自営業で、

飲食店を経営していました。

 

きっと忙しかったのでしょう。

 

ひな人形は、

いつの間にか飾ってあって、

いつの間にか片づけられているものでした。

 

小学四年生のある日、

友人に「今日、遊べる?」と聞いたら

「今日はおひなさまを出すから遊べないの」と言われ、

超びっくりしたのを覚えています。

おそらく友人宅では、

家族みんなでひな人形を飾っていたのでしょう。

 

 

でも、母も一人でひな人形を出すのは

大変だったようです。

 

「棚を組み立てるのが、毎年難しい」

とか

「一人でやるのは大変」

とか

言っていたような記憶もあります。

 

でも、私、「手伝って」とか「一緒に出そう」

と言われたことがないのです。

だから、私は分からなかったのです。

(空気読めない子どもでした)

 

でも、おじいちゃんが買ってくれたひな人形は、

私の自慢。

とっても大切な宝物でした。

 

私がお嫁に行っても持って行って、

女の子が生まれたら、

ひな祭りの時にこのひな人形を飾ろう。

 

ずっとそう思っていました。

何の疑いもなくそう決めていました。

 

 

月日は流れ、

実家の飲食店を畳み、

我が家は引っ越すことになりました。

 

一旦は、身を寄せる場所へ引っ越し、

そのあとに終の棲家、と言いますか、

実際にきちんと住む家を探し、

母のひらめきで、

急に住む場所が決まりました。

 

 

そして、

母から衝撃に一言。

「もうおひなさまはいらないよね。

飾る場所もないし、処分する」

 

ええええええええええーーーー!!!!!

 

ちょっと待て。

飾る場所はある。

*リビングに隣接したほぼ使用しない和室があり、

そこに十分飾るスペースはあるのです。

 

しかも、亡くなったおじいちゃんの形見である、

私の宝物のひな人形。

お嫁入道具に入れて、

娘が生まれたら飾るのよ。

 

 

母に捨ててはダメだと必死に訴えたものの

「そんなこと言ったって、

あなた一度だって『一緒に飾ろう』と言ったことないじゃない。

毎年、お母さんが一人で出して片づけて、

手伝ったことないじゃない」

 

 

おいおいおいおい。

ちょっと待って。

 

そんなこと言われたって、

あなただって、私に一度たりとも

「手伝って」とも「一緒に出そう」とも

言ったことないじゃない。

 

本当にびっくりしました。

 

 

しかし、抵抗もむなしく、

私にひな人形は、

近くの神社の人形供養に出されました。

 

それでも、

何とかお内裏様とお雛様だけを、

手元に残すことができましたが。

 

 

新しい家に越してきて、

飾る台もなく、

地べたに置くわけにもいかず・・・

 

何か代理のものに乗せて飾った記憶があります。

 

 

数年後(もう少し経ったか?)

 

私は結婚しました。

 

唯一残った、めびなとおびなを

持って行きたかったのですが、

夫と一緒に住む家はとても狭かったし、

運べる荷物にも限度がある。

 

今、必要なものだけ持って行って、

残りはおいおい、運べばいいか。

 

そう思い、

ひな人形も「後から運ぶ荷物」として、

実家においてきました。

 

 

結婚から一年経つ2月ころかな

*私は3月下旬に結婚しました

 

突然、母からラインが来ました。

 

「ひな人形を買って送ろうと思ったけど、

好みがあると思うので、

Manyuの好きなのを選んでください。

お金はお父さんとお母さんで出します」

 

 

????????

 

どゆこと???

何、言ってるの?

 

 

全く意味が分からないのため、

その旨、母にラインで返信したところ

 

「そうですね、意味が分からないですよね。

ひな人形というのは、お嫁さん側の親が用意するものなので、

新しく買ってください」

 

みたいな、内容が返ってきました。

 

 

いやいやいや。

そうじゃない。

 

私が聞きたいのは

「私の大事なひな人形を処分した人が、

なにゆえ新しく買えと言うのか、

そこの意味が分からないのだよ」

 

ということ。

 

だって、私のお雛様は、

おじいちゃんが買ってくれた、

あのひな人形なんです。

 

 

*☆*:;;;:*☆*

 

今日見た夢も、

ひな人形を処分した云々の内容でした。

 

ちょっと前まで覚えていたのに、

もう詳細が思い出せないあせる

 

 

ただ、今もまだ、

私はおひなさまを処分したことに納得がいっていないんだな、

と改めて思いました。

 

 

母とは色んなことがあり、

母なりにたくさん愛情を注いでくれました。

 

 

でも、きっと自立心の高い私のことです。

 

私が納得いくような答えをもらえず、

もどかしい思いをした。

 

今はまだ、

自分を癒す時間が必要。

 

 

母が私に与えたい愛と

私がもらいたい愛は違う。

*受け取る受け取らない云々ではなく

 

同じように

母が私からもらいたい愛と

私が表現できる愛は違う。

 

どちらかと言うと、

母は自分の母からもらいたかった愛情を、

私から欲しがっているようにも感じるのです。

 

でも、それは出来ない。

 

だって私は娘(子ども)だから。

母の親ではない。

 

 

まだ、私は母に〇を付けられていないのかもしれない。

 

 

今はまだ、その状態の自分にひたすら〇を付けることが、

私にとって大事なことなのです。

 

 

まだまだ私の中に

「母親とは仲が良い方がいい」

という概念があるのかな。

 

 

たいていの人は、

母側に寄り添った言葉しか出てこない。

 

・親って言うのはそういうものなんだよ

・お母さんがかわそうだよ

・Manyu、そんなのダメだよ

etc...etc...

 

 

親と言うだけで親側の気持ちの寄り添って、

親側に視点で親の話をする。

 

 

私の気持ちには寄り添ってくれないのだろうか?

 

私だってこんなに苦しいのに

私だってこんなに辛いのに

 

 

いくらそこを訴えても、

なかなか分かってもらえない

 

 

まだまだマル付けは奥が深い

 

 

それでも私は信じているし、望んでいる

 

いつかまた、

ちゃんと母と会って話せる日が来ることを