先日、とおるご家庭の家族会議に同席しました。
入院中のご家族が、
もし今後、急変した時に、
「どのような医療の選択をするのか」
を話し合う場。
お一人は
「もうすでに一度、一山越えた。
もう次回は、そこまでしなくてもいいと思う」
もうお一人は
「分からない」
「今、そんなことを聞かれても決められない。
その時のその状況とかで変わるし」と。
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「分からない」
が通用するの!?
ただ、ただ驚きました。
そして
これが、
一人っ子と兄弟姉妹の居る人の違い
かと思った。
キーパーソンの方に、
「あの答えで差し支えないのか」確認したところ、
「責任感ないな、とは思う。責任は全部こっちに丸投げだし」と
「ただ、こちらの持っていきたい方向に持っていけるから、それならそれでいい」
なるほど。
「分からない」
その答えが良い⭕️、悪い❌ではないんです。
もちろん「分からない」と言う答えもある。
ただ、私には「分からない」と言う答えはないだろう。
もし、「分からない」と言ったところで、
きっとこうなる。
医師「延命は希望されますか?」
私「分かりません、決められません」
医師「その場合には、出来うる限りの治療をすることになります。
延命治療をすることになります。
よろしいですか?」
もしくは
医師「こちらの病院では、積極的な延命治療はしていませんが、よろしいですか?」
いずれにせよ、確認される。
「よろしいですか?」と。
「分かりません」は通用しない。
決めなければならない。
そして、おそらく私は決めなければならないだろう。
そして、決めるだろう。
そして、きっと私は自分が決めたいだろうと思う。
もしあなたが「決められなくて」「分からない」なら、
そして、誰かに委ねたなら、
そして、誰かが決めたなら、
あなたが分からないと放棄したことを、
どれだけの覚悟を持って決めたのか、
そこは受け止めてほしい。
そこは、分からないで、済まさないでほしい。
「分からない」と選んだ責任は発生する。
「言わなかった私が悪いって言うの?」
言わなかったアナタが悪いと思うよ。