3/23月曜日に放送された、サロンド武蔵野理髪店 第85回目のポッドキャスト放送です。


3月と言えば卒業式の季節。あべさんの息子さんも小学校を卒業ということで色々感慨深くなることもあるけれど、子供達は卒業してもネットで連絡を取りあう等相変わらずな様子で時代は大分変ったんだなぁと感じたりもしたとお話頂きました。

松本さんの近況は国会も始まり、国会の仕事や内閣府の大臣政務官の仕事を日々こなしているとの事。もう一つは花粉症が結構酷いこと。色んな場所に行ってお話をしたり、会議に行ったりという状況なので、花粉症で何も出来ないというのでは困ってしまう。お医者さんにいって薬をもらってなんとか抑えながら仕事をしている状況。花粉症になって数年経つが、今年も花粉に負けず乗り越えていきたいとお話頂きました。


一つ目のお話は今年で4年経過した東日本大震災の話。

3/11に政府主催の追悼式典が天皇皇后両陛下ご臨席のもと国立劇場で行われた。松本さんは防災担当の政務官ということもあり、今回は実行委員会の一員となって追悼式典に出席させて頂いたとお話頂きました。

式典では毎年、岩手・宮城・福島三県のご遺族の代表にご出席頂いてご挨拶頂いている。その中でも宮城県の菅原さんというかたのメッセージが印象的だった。菅原さんが体験された、被災して津波に流され、海の上に浮かんでいる瓦礫の山で目が覚めて…といったお話を聞かせて頂いたのが特に印象に残った。ご遺族の皆さんのお話を聞かせて頂くと涙なしにいられないとお話頂きました。

式典の後には、ご遺族代表の方たちに対して復興担当大臣、防災担当大臣、防災担当副大臣と共に松本さんも防災担当政務官として直接ご挨拶をさせて頂いたとのこと。被災者の皆さんのお顔を見てお掛けする言葉が無い、ただやはり我々としては一日でも早く復旧復興を加速化していくために全力を尽くしていくと共に、災害で失われる命や暮らしを出来るだけ少なくしていくための努力はなんとしてもやっていかなければいけないということをお話をさせて頂いた。

菅原さんがおっしゃっていたのは色んな悲しみ苦しみがあり、忘れることもできないし、それを取り返すことは出来ないが、これからの人生、自分たちの心の持ちようで色んな事を自分達は得ることができる。是非これから人生をかけて様々な事を得ていって、失ったものを越えるような物をしっかりと得ていきたいと話していたことが印象的だった。

やはり経験した人でないと分からない部分はある。被災地に足を運んで被災者の皆さんとできる限り同じ思いを共有できるようにと昨年の青年局長時代に一所懸命やってきたが、それで理解が出来るなんてことはとてもじゃないが言えない。我々がやらなければいけない事は理解をしていく努力を続けていかなかればいけないこと、風化することがないように、忘れないようにしていかなければいけない事だと思う。

東日本大震災の復旧復興は被災地だけの問題では無く、国全体で取り組まなければいけない課題であり、あの震災の教訓を活かした安心安全の国づくりを我々が責任を持ってやっていかなければいけない。それを日本全国に広げていって防災、対応策をしっかりやっていくということが防災を担当する者として自分がやっていかなければいけないことだと感じた3/11だったとお話いただきました。

あべさんからは東日本大震災当時は時、自分は消防団の分団長として他の分団が稼働する前に自分の団で小平を回ったことが貴重な経験だっとと今も感じていること。テレビ見て印象に残った話として南三陸の高校生になる女の子が「風化風化と言わないで。進化といってくれ。私達がワクワクする町にして欲しい」と言っていた。そういう子たちの気持ちを裏切ってはいけないとお話頂きました。

そのことについて松本さんからは被災地である女川町の町長であり松本さんの友人でもある須田さんの話を紹介いただきました。女川は町の8割が津波を受けたため、ゼロから復興復旧をしている状態。町づくりはしっかりやっていかなければいけないが、ガチガチにやりすぎて、かえって子供達が大きくなってから「町をこうしたい」という時に何もできなような町にはしたくない、という須田町長の話が印象に残っている。若い人たちの思いを受け止めることができる町づくりをしていくこと。震災を風化させないだけでなくその先を見据えていかなければいけないと思うとお話頂きました。


二つ目のお話は松本さんが政務官として挨拶を述べた竹島の日記念式典について。

2/22の竹島の日は島根県が条例によって定めた記念日。明治38年(1905年)1/28に島根県への竹島編入を閣議決定し、同年2/22島根県知事が所属所管を明らかにする告示を行ったことに因んでの記念日。

式典の主催者は島根県。島根県から政府への出席依頼があり、松本さんが去年一昨年に続いて3回目の政府の出席者として行ってきたとのこと。今年は領土担当の政務官でもあるため政府を代表して式典で挨拶をしてきたとお話頂きました。

竹島は我が国の国際法上も歴史上固有の領土。だからこそ我々としては冷静かつ平和的にこの問題を解決するために全力を尽くすとお話させて頂いた。同時に韓国は日本と違う主張をしているが、立場の違いがあるからこそしっかりと話し合いをする必要があるということを挨拶の中で申し上げてきた。

以前の式典ではヤジが飛ぶこともあったが、今年は落ち着いた式典だったと思う。式典に入る前に島根県知事と色々お話をさせて頂いたり、竹島に関する資料が展示されている場所も拝見させて頂いた。そうした県の取り組みを国としてどういう形で支援をしていくことができるのか、国としてどういう形で解決していくことができるのか一朝一夕で結論の出るものではないがしっかりとやっていきたいと思うとお話し頂きました。

また、今回式典で挨拶をしている姿が全国放送され、皆さん結構ご覧になられた方もいて「洋平ちゃんでてたね」と声をかけて貰ったりしたとお話いただきました。


3つめのお話は3/14から開催された国連防災世界会議のお話。

松本さんは初日の3/14に現地へ伺い、それぞれの会議で政府を代表して挨拶したり色々な催しを拝見したりしたとのこと。

前回は阪神淡路大震災のあった兵庫で開催され今回は仙台市での開催。各国の首脳級や大臣級閣僚級が集まるだけでなく、世界中から四万人ほどの人が集まって会議を開いたり、催し物をやったりしているので仙台市内も大いに盛り上がっていて良かったとのこと。

今回のポイントは前回開催の兵庫で作った兵庫防災枠組に加えて新しい物を作っていこうということ、防災に対する取り組みを世界的に足並みをそろえてやっていこうということを国連の世界会議の場でしっかりと打ち出していこうという部分。同時に今まで防災を担う団体として枠組みに入れられていなかった民間組織やNGOなど様々な主体が防災というものにしっかりと関わっていくような形を世界の皆で作っていこうという取り組みをしている。こういうことを進めることによって世界が自然災害に強い国づくり、地球づくりをやっていこうとしているとお話いただきました。

また仙台市での開催ということもあり、東日本大震災の時に暖かい励ましを各国から頂戴したことに対する感謝の気持ちを伝えると同時に市内にいろんな3.11に関する資料を集めた展示や企業や防災グッズを宣伝するブースを出したり、加えて世界各国の政府防災担当者にもそれぞれブースを出して取り組みを紹介してもらう施設を設けた。日本の優れた地域防災の取り組みである自治会等を紹介するシンポジウムを開いて世界の方たちに来てもらい、作った本を紹介したり同時通訳をしながら説明したりもしていた。政府の方も折角世界中から来てもらうため、被災地の現場を見てもらうツアーも沢山用意して、各国の政府や国連の関係者に参加してもらい、被災地を見てもらうなどもやっている。そういう意味では重要な決定がなされる会議であると共に、東日本大震災からの復興の状況をアピールする大きなチャンス。地元の皆さんのお力も頂き、大変盛り上げて頂いて感謝感謝という状況だったとお話頂きました。

初日の夜に日本政府主催のレセプションがあり、色んな国の方と話した。その中で印象深かったのはアルメニアの方のお話。アルメニアも過去に大きな災害に襲われたことがあった。その時に日本が暖かい支援をしてくれたというのを涙ながらに語ってくれた。明かりが無くて大変な時にホンダの発動機で明かりを取り戻すことができて安心をしたしとても助かったというお話を聞かせてくれた。

日本の防災に対する考え方は世界のお手本になる部分がある。特に地域のコミュニティで自分たちの街を守ろうという意識や取り組みは、日本特有のもので世界がお手本にしたい素晴らしい仕組み。技術的なものだけでなく日本の文化も併せて伝えることにより世界の安心安全に繋がっていけばいいなと思うし、そういう形での貢献をしていくことは日本にとって大事な観点だと思うとお話頂きました。


4つ目は道路と町づくりについてのお話。

最近の地元の話題として念願だった調布保谷線が開通したり、多摩地区にも開発の動きがあることから町づくりと道路のお話に。

多摩地区は都心を中心に放射状に東西の道があるが、それをつなぐ南北の道が弱い。それが町の発展の阻害要因になっている。電車も連続立体交差化が遅れているため、踏切問題で南北が遮断されている状況。しかしちょっとずつだがこの度の調布保谷線、電車でも中央線にグリーン車ができると発表されたり、西武池袋線は横浜まで行けるようになったりして、町が段々と便利になっていく部分もあり良いことだと思うとお話頂きました。

交通手段は街づくりの一番の基礎。このあたりをどう考えていくかは大事なこと。最近、3/14に北陸新幹線が開通したが、新しい動きが起爆剤になって経済的な意味においても人の心においても前向きな気持ちをしっかりと作り上げてくれるという気持ちがあるが、一方でそれに喜んでいるだけではだめでそれを活かした国づくり街づくりができるかということが大事だと思う。便利になるのはいいと思うが、逆に町の何を残していくのか、何を伸ばしていくのか、しっかりと考えていかなければいけないとお話頂きました。


サロンド武蔵野理髪店 第85回目ポッドキャスト放送

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