四国遍路⑤二つの遍路ころがし「人生即遍路」 | Lovers Stone (ラヴァーズ ストーン)

四国遍路⑤二つの遍路ころがし「人生即遍路」



焼山寺までの山路にて



四国遍路には、

「遍路ころがし」と呼ばれる3つの難所があります。


お遍路さんを「転げ落とす」ような険しい山道のこと。



ひとつ目は、

最初にして最大の難所、

十一番札所「藤井寺」から十二番札所「焼山寺」への約13km。



二つ目は、

十九番札所「立江寺」から二十番札所「鶴林寺」への、最後の約4km。


三つ目は、

「鶴林寺」から二十一番札所「太龍寺」への役6.5km。



二つ目と三つ目の遍路ころがしは、

同じ日に歩く人が多いようです。

なぜなら鶴林寺まで登ったら宿泊施設が無いからです。



私は、焼山寺までの遍路ころがしと、

恩山寺から鶴林寺までの20km&遍路ころがしを歩きました。



焼山寺は修験のお山です。

修験者たちは、何を見て何を感じたのだろう。



1200年もの間、

この厳しい山道を歩いてきた人々は、

何を思って歩いてきたのだろう。





めっちゃ難所。



とっても苦しかった。


苦しかったけど、この身に体験させてあげることができて本当に良かった。



山全体が春の芽吹きの勢いがあって、

微生物が躍動しているような、「発酵」の香りがしていました。






朽ちていく木々もすべて新しい生命の糧になり、

生命の連鎖が続いている。






春の花々が咲いていて、ときおり良い香りがします。




先日参加させていただいた、

秩父曼荼羅小屋の武甲山入峯修行



そこで教わった、

山の香り、鳥の声、動物の生きている痕跡。



静果先生が野生の鳥や動物に詳しくて、


「あ、何かの卵だ」

「あ、このフンは銀杏っぽい」

「この季節の鳥は『かけす』じゃないかな」





そんな言葉や、



「荷物を降ろして腰掛けるんだよ」という言葉が、

遍路ころがしの苦しい中で聞こえてきました。



あのとき、

小さなことが疲労回復に繋がるんだと実感し、

遍路ころがしで活かすことができて嬉しかった。



私、山登りに興味が無かったんですけど、

案外好きだったのかもしれません😂



興味が無いのになぜ、お山の修行に参加したり、

遍路ころがしを歩いていたのかというと、



水を育み無数の命を養う「お山」という存在に、

どうやって「ありがとう」を伝えたらいいのか、

知りたかったんです。



その方法の一つが「祈り」なんじゃないかなと、思ったんです。






↑こういう言葉が至るところに貼ってあって、

励まされました!



なかには、

人生即遍路


「人生は即ち遍路である」という言葉もあって、



山あり谷あり、

それでも一歩一歩進んでいることが、

命のサイクルの大切なひとつになっている、

なんてことを考えながら登りました。



旅行雑誌まっぷるに遍路ころがしのおすすめプランが載っていたのですが、



まっぷるより


こんなに爽やかじゃないから!!!


ひーひー

はーはー


言いながら登りました(;´Д`A




そんなとき聞こえた、峯龍先生の声!


「懺悔懺悔六根清浄六根清浄」


苦しい山道を歩く時に、みんなで繰り返した言葉。



不思議なんですが本当に軽くなるんです。


言葉の響きと、

その言葉を発することができている自分が合致する感覚です。





二十番札所「鶴林寺」までの遍路ころがしは、


整備されていて歩きやすいのですが、

1時間半ひたすら急勾配が続くので、きつい。



また、歩き遍路の方々は、

宿泊用の荷物を全部背負っての山登りなので、

ほんっとうに大変です。





春の遍路道はとても幸せな時間です。



黄色い蝶々が飛んできて、

「あ、母が一緒に歩いてる」とか、



白くて優雅な蝶々がヒラヒラついてきて、

舞台やテレビに出ていた友人かな、なんて、思ったり。



私のDNAの中にいる母やご先祖様たちが喜んでいる💓



人生の中でこの時間を持つことができたことがありがたくて、

多幸感でいっぱいだったのですが、




歩き遍路の方とすれ違いざまに少しだけおしゃべりをしたときに、


「若い女性が1人で歩くなんて珍しいですね。」

と言われました。


「実は、夫が車遍路で車中泊してるんです。」と伝えると、


「どうりで荷物が少ないわけだ」と言われました。



なんでもない、ただの会話です。


でも、私の中で少しだけ引っかかっていた気持ちがくっきり浮かび上がってきました。



歩き遍路じゃない自分。

車遍路と歩き遍路の良いとこどりをしている自分。


1人で歩いている時、モンモンとしていて、

なんか、「ちゃんとしていない気持ち」になったときに、



人生即遍路

という言葉が思い出されて、

あかーん!!と軌道修正されました。



人生即遍路って、

自分のペースで自分の道をゆけってことでしょう?


人の遍路と比べても意味なし。



私は私の幸せな遍路を打てばいい。



私にとっては最高の良いとこどりのお遍路ですが、

歩きたい人にとっては最高ではないし、

車で周りたい人にとっては望みが一致しません。

 


通し打ちでも区切り打ちでも、

車でも歩きでも自転車でも


それぞれの背景があって、

それぞれの思いを大切にして、

大切な時間を過ごしてるだけ。




道の駅で、同じ埼玉ナンバーの車の方が声をかけてくださったとき、



「あなたたち、まだ若いのにお遍路?

私たちは冥土の土産だけど、あなたたちはまだ早いじゃない」と言われました。



私、思うんです。


冥土の土産はいくつあってもよい。


そして、冥土に行くタイミングと年齢は関係ない。


会話は楽しかったのですけどねウインク





焼山寺への遍路ころがしにて




私は私のまま、愚かでいい。








愚者の頭に付けている赤い羽と、

死の頭の鎧に付いている赤い羽は同じだって知ってましたか?



無限の魂と肉体の死は同じなんです。



冥土の土産に持っていけるものって、

「感じた記憶」だと思っています。



お遍路で感じた記憶。


春のぬくもり。

爽やかな風。

足の裏の痛み。

動物とのご挨拶。






様々な神仏との出会い。

祈ること。

ご真言。




優しい笑顔の十一面観音様。気持ちよさそう。恩山寺にて。



お経の響きに委ねていると、頭が空っぽになる感覚。


私の細胞に刻んで、

冥土の土産を豊かにしていきます。





鶴林寺の山道にて。