「意地悪な継母」論 〈後編〉 | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。


「意地悪な継母」論、後編です。
前編はこちら。


なぜ「意地悪な継母」って言葉を使ったか?と言うと、
それは、昨年12.17 にタリカさんと開催した
TOTAL WOMANというワークショップに遡ります。


閉経後の女性像を語る中で
オンナの3つのステージとして
「処女性」
「意地悪な継母」
「老婆、魔女」
の話が登場しました。


グリムやアンデルセンの童話、
昔話を考えてみていただくと
よくわかるのではないかと思います。


あの日は、老婆、魔女という智慧の存在には
命を生み出すという役割を終えた女性、
すなわち閉経した女がようやくそうなれるのよ、
というお話でした。


でも、あれから、私の中にはなんとなくずっと
「意地悪な継母」というメタファーがなぜ存在してるのか?
ということが気になっていました。


そう思う中で、日々いろいろなシーンに立ち会う自分の中に
意地悪な継母像が必要な気がしてきました。


と同時にそうなることへの抵抗感も。


でも、これ、誰だって抵抗あるんですよね。


若い子に注意する自分って
なんか嫌ですよね。


その裏の若さへの嫉妬を
見透かされるような気がするのもいやだし、
今そーゆーもんですよ、何が悪いんですか?と
開き直られたときに、知らなくてすみませんと
言ってしまいそうな自分もいる。


直接何も言わずに、
明らかに通じそうな人と
「最近の若い子は…」と言ってる方がラクだったりする。


だから、できたらそういう役は誰かに任せて
自分はラクな道、
何も言わずにいい人でいられる道を選びたくなる。


そういう女自身の複雑な思いがあるから、
そうでない道が今あるんだろうと思うわけです。


聖子ちゃんが今でも同世代の女性に愛され、
自分の全エネルギーを美に注ぐ美魔女というような
存在が認知される背景には。


いや、私だって、美しくありたいとは思ってますよー。
だから、えら呼吸だなんて言ってるわけだし。


だけど、智慧ある老婆が魅力的なのです、私にとって。
だとしたら、そこに至る通過儀礼として、
意地悪な継母を受け入れてみようと思った。


でも、その心は、
自分をも、他者をも愛する想いがベースにあると思うから。


でも、それよりも先に、自分が若い時、
人生の先輩たちが私に言ってくれたことが
有り難かったという思いもあります。


当時は、反発したりしたものの、
厳しく言ってくれた言葉は、今の私にちゃんと生きている。
だから、その心意気、循環させていかなきゃという思いもある。


実は、昨年から、AC勉強会の場では、
好かれるためにやってないから、と最初に申し上げていますが、
ますますその路線でまいります。


とか言いながら、あっさり挫折しちゃったりして
とならないように、意地悪な継母同盟作ろうかな。


ほら、モノ申したいことがあるそこのアナタ、
一緒にいかがですかー。


さろん楓、意地悪な継母たちの溜まり場になっちゃったりして。
あ、でも40代以上限定ですよー。