より佳くなろうとして学んだメソッドにがんじがらめになっていませんか? | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

さろん楓ふなだまほです。

いつもありがとうございます。



最近、とみに思うこと。



善悪の判断よりも
自分のからだの内側から湧き上がる感覚を信じよう!です。



自分が食べたいと思うもの、
したいと思うこと、
好きだと思うもの、
嫌いなもの、
許せないもの、
ぜーんぶ自分の奥底から、
芯の部分から沸いてきている
大切なメッセージです。



自分という生命体からの伝令です。



からだのバランスを崩していれば
バランスを崩したものを欲しがります。



バランスを崩したものを使ってまで
元の平衡状態に戻そうとする働きです。



ところが、それまでダメと断罪してしまったら…


自分が混乱します。
自分のニーズがわからなくなります。
本能が鈍ってきます。



ただでさえ苦しいのに、
ますます苦しくなってしまう…。



たとえばコーヒー。


「コーヒーはからだに悪い」ではないのです。
「コーヒーを飲みたくなる自分はダメ」ではないのです。



コーヒーは、簡単に言うとからだをゆるめる作用があります。
緊張状態から解き放つ。
疲労を回復する。
利尿作用や腸の蠕動運動を促進する作用です。



つまり、からだが緊張&疲労している、
それを解放したいから、
からだがコーヒーを欲したということです。



コーヒーを飲まないようにしたいと思うなら
その原因である過度の緊張状態を変えられるのか、否か
そちらを検討する必要があるということです。



「○○はダメ、○○はいい」という情報を
そのまま学習するのではなく、
どうせ学ぶのなら食品の性質、作用を学んで、
それによって変化するからだの状態を知って欲しいのです。



私たちのからだって、
一時もとどまることなく揺れて
季節や時間に感応し合って動いている自然体そのもの。



そこを感じとって、
あらゆるものと響き合っていくことが
生きること。
そして、自分を活かすことです。



★ ★ ★



うーん



テレビに関しては、
ある程度距離を置いて眺めている人が多いと思うのですが、
雑誌を人生の教科書にしている方は
まだまだ多いのではないでしょうか。



雑誌は、広告宣伝の記事が
もっともらしい知識のように
掲載されていますから、
本当に注意が必要です。



右から左へお金を動かすことに長けた方たちの頭脳作戦が
あの紙面のあちこちに潜んでいるわけです。



そこに簡単に載せられちゃぁなりませぬ。



…絶対的に悪いもの、
絶対的に善いものは存在しません。



すべてのものが
メリットもデメリットをも両方有している…。

ただ、それをどう利用するか?です。


私たちは選べるんです。



主体はあくまでも「私」ですから。



「食」であれば、
食品の個々の作用をぜひ学んで欲しいのです。



もちろん、さろん楓でそういう講座を開くことは
できるのですが、
これ、ただ机上で詰め込んでもちょっと違うんですよね…。



自分で判断できるような軸が育つまで
面倒見させていただけるといいのですが、
どういう方法がいいんだろうか…。


私も過去にいっぱい「食」の失敗をしてきています。



私、学生の頃は、1年の半分以上、
バイオリズムが低いといってもいいぐらい
エネルギーのない人でした。



流行の食事法でダイエットしては
リバウンドするなんてことも
当然やっていましたし、


お腹はいっぱいなのに過食しては
罪悪感にまみれるなんてことも
当たり前のようにやっていました。



でもその失敗があるから「今」があります。
(おかげでそうした悪癖とはきれいに
おさらばすることができました)



マクロビオティックとアーユルヴェーダを学ぶ中から
自分の快適なからだを発見してきました。



自分をセオリーに合わせるんじゃない。
セオリーを自分に照らし合わせて活用する。



主体のない学び方をしていたら
いつまでたっても、何を学んでも
苦しさが増すだけではないでしょうか。



より佳くなろうとして学んだメソッドに
がんじがらめになっていませんか?
ということを言いたいのです。



メソッドには「こうすべし」「すべからず」が存在します。
「しちゃいけない」がインプットされると
からだに恐怖と緊張が走ります。



その恐怖と緊張に気づき、
それをとりのぞくことから
スタートする必要があるのではないかしら…。



こうした「食」のセオリーだけでなく、

これ、いろいろなことに当てはまりますよね。



たとえば、鏡の法則にがんじがらめになって
自分を責め続けている方も少なくないですね。



あちこちから
こういうスピリチュアルハラスメントを
よくお聴きします…。



「人間、そんな通り一遍のものじゃないぜよ」
(なぜか土佐弁・笑)
と吠えたい気分のふなだまほです^^



…もし、これに何か響いた方がいらしたら、
ぜひご連絡くださいな。



一緒に響き合いながら

そこを越えてゆけたら…と思うのです。



…自分の足跡っていちいち記録していないと

忘れてしまうのですが、

セオリーを外れる恐怖感を持っていた私が

それを抜けられているので、

今はまだどういうアプローチがいいか

正直なところわからないのですが、

どなたも越えゆくことができると思うのです。




さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト