自分のことを話すって難しい | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。



「声を出す」
「言葉を発する」



これ、あたり前にやっていることだけれども
実はすごく難しいこと、高度なこと。



人間だけ、ですものね、
言葉を駆使している動物は。



その中でも
「自分のことを話す」というのは
なかなかにタイヘンなこと、です。



「制度の中の自分」、
「役割としての自分」が話すというのは、
割と、どなたでもできるようになるのですが、
「素の自分」が話すというのは、
実は、見えない積み重ねがあって
初めてできるようになるものです。


(この見えない積み重ねをAC勉強会で学んでいます)




さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト 



最初は、誰かのコピーから入る。


それを真似て使って、
試行錯誤や修正を繰り返して
あるとき、自分の言葉を持てる日がやってくる。


自分の声を発する日がやってくる。



でね、私たちのほとんどがこのための適当な訓練を
子ども時代に受けていない。



文字は読めるんです。
教科書は読めるんです。
文字も書ける、文章も書けるようになる。



でも、話す訓練ってしてきていないんですね。



でも、コレ、やってみる価値大なんです。



それゆえに、
さろん楓は“自分を語ることを大切に”と
掲げ続けてきました。



なぜかと言いますと…。



人前で話せなかった私自身が
この訓練でできるようになったから、です。



これが自分の声だ。
やっと自分の言葉を獲得した、と
思えたときがあったからです。



「できない」「苦手」なのは、
「向いてない」ではなく、
適当な訓練をしていないから。



それに過ぎないと思うのです。



★   ★   ★



私は、20代後半、
とあるアプリや機器などの使い方の説明をする仕事を
していたときがありました。



これは、特に緊張しなかったんですね。
大勢の前でも平気でできる。



子どもの頃は、人前でしゃべるなんて
緊張してしまって、前を見ることさえできないほど
「無理」「ありえない」だったけど、
いつのまにかできるようになったわって
そう、大きな勘違いをしていたのです、私。



ところが、30歳を過ぎた頃、
ACの癒しに取り組むことになり、
シェアリングという
言いっぱなし、聴きっぱなしのミーティングに
参加するようになって愕然としました。



自分があまりにしゃべることができない様に。



しゃべっているうちに
何を言いたかったか忘れるわ、
支離滅裂になるわ、
ああ、なんて話すのが下手なんだなんて
何度も落ち込んだほどです。



仕事で人前で話しても大丈夫だったのは、
ただ単に、主役はその機器であって、
私は黒子に過ぎなかった、
私のことを話す必要はなかったからだったんですね。



でも、シェアリングの回数を重ねるうちに、
アタマで理屈をこねくりまわさなくても
自分のために話すこと、
時にははらはらと涙を流しながら、
自分の感情の浄化、整理整頓のために自分のこと、
自分の気持ちを語るということができるようになってきました。



そして、自分が話したことで、
その輪の中にいる人が何かを思い出す、感じる、
気付くきっかけになる…というような
相互作用が生まれるようになって、
私自身も他の方の体験から多くの示唆を頂いてきましたし、
ああ、私の体験、話も人の役に立つんだという
ほかでは経験できない宝物を頂いてきました。



話すことは“瞬間アート”なのだなと思うようになりました。



また、伝えたいことがまったく同じであった場合、
筋書きや理論として説明されるよりも、
「こうしたほうがいいんじゃない?」
という他人からのアドバイスよりも
「私はこうしたんです。そうしたらこうなりました」
という一人の人の体験談のほうがはるかに
説得力をもって人に迫るのですね。



そのとき、話していたテーマは「家族」。
「家族」に関する自分の気持ち。



それを語れるようになるまでだって、

多くの人が決して低くないハードルを
超えてきました。



だからね、ジェムリンガ勉強会に出席してみて、
(出ること自体、人によっては、
けっこう勇気が必要なことだったりする)
いきなり「素の自分」のこと、
ましてや「性」の話なんて
できなかったとしても不思議はないのです。



誰だって興味はある。
だから、話を聴いていることはできる。
でも、自分に話を振られても、

話せることなんてない…と思うのは当たり前だったりします。



特に「性」に関して
何らかの禁止令・恐怖感覚・「べき」傾向を
持っている場合には、
そこにいるだけで精一杯ということもあるかもしれない。



これまで一生懸命
覆い隠して今の「自分」として
仕立てあげていたものが
一気にはがれ落ちてしまう…
そんな居心地の悪さもあるかもしれない。



でもね、そう思っていたら、意外と話せたりする。


なんの知識もないと思っていたとしても、
自分が感じることだから、
伝えられることがあったりする。



そして、感動するんです。


「性」のことをこんなに真面目に話す場があること、
そういう人たち、そういう男、そういう女がいることに。



それは、よく味わうと「楽しい」感覚なんですね。



そう。
性の話をするのは楽しい。



「肩書き」もなーんにもない世界。
人の外側にあるもの、すべてをとっぱらって、
ただ一人の「オトコ」「オンナ」になってみる。



だからこそ、自分を見たくない人、
自分を見るのがコワイ人、

心の奥底で自分を嫌っている人や、

過酷に批判している人にとっては、
ちょっとだけハードルが高いのだけれど。



でも、おそらく
仕事のべき論や愚痴を語るよりも
職場の困ったさんの話をするよりも、
世間の流行りものの情報を仕入れるよりも、
夫、子どものことで互いの家庭の状況のさぐりを入れあうよりも、
希少な体験をしてきた人の話をへ~ぇ!と聴くよりも

自分が感じたことを話すって、
ほんとはほんとは一番楽しいことです。



でね、
何よりも自分が「感じる」ということを大切にし始めると、
コレ、当たり前といえば、当たり前なのですが、
自分は自分の感覚しかわからないことに気付く。



そして、
私は○○だけど、あなたはどう?と聴きたくなる。



そして「あなたはどうですか?」と問われると
それを受けた人の中に「私は…」という文脈が生まれる。



そこに、自分を主語に生きていく舞台が広がるのです。



そんなレッスンの場と思って、
繰り返しご参加いただけたらいいなと思います。



外国語の習得と同じで、
耳に慣れることが大事かな。



たくさん質問を投げかけてみるもあり。
いるだけ、聴いているだけもあり。



ただ、小さい輪のほうが話しやすいのも事実ですね。



来年2月。



また、須佐厳さんご夫妻をお迎えして
ジェムリンガの集い、
男性性、女性性を語る会を開催しますが、
22日金曜日中の会は、さろん楓で女性限定の小さな会です。



輪が小さいと話は深くなり、
誰かの人生をものすごく愛しく、親しく感じる。


この経験もすてきです。



23日土曜の会は、
男性も混じってのもう少し大きめな集いになるでしょう。



男女含めて、多くの人の「性」に出会える貴重な機会です。


続く、24日、25日には、
子宮委員長はる主催のジェムリンガイベントもあります。
さらにバラエティ溢れる女性、男性が集います。



併せてどうぞ「自分発見」「自分確認」に
ご利用くださればと願います。


★   ★   ★


2012年、子宮委員長はるに出会って、
たくさん言葉を交わしてきたことにより、
「風俗嬢と主婦、“対岸”じゃないね」
「おんなじだね」と感じあえるようになりました。



オンナの中にある「区別」「差別」「偏見」に
長いこと悩んできた私にとって
こうやって橋がかかることは、悲願でもありました。



難しいことではなかった。

キーワードは“ホト”だった。



大阪では、10年来の友人であるかなでさんと
音のない世界にすむなっちさんが
共に集いを開きましたね。



あちこちで「おんなじだね」が起きてきています。



これからは、子宮や卵巣、乳房を失った方とも

“ホト”で「おんなじだね」と繋がっていけるのではと予感しています。



“ホト”をもつオンナは流れを作れるのです。



そして、いろんな流れがあっていい。



だから、流れを止めないで。
流れ続けて、溢れ続けていきましょうね。




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