続「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」 | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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さろん楓ふなだまほです。

いつもありがとうございます。



以前「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」という記事を書きました。



⇒ 記事はこちら



この本で著者はおおよそ
こんなことを言っています。



突発的な暴力が起きたことがきっかけとなって
共同体内部の結束が高まって、
他者への憎悪があたかも絶対正義であるかのように煽られていく。
その事件の衝撃が強ければ強いほど、それは強力に。



それは「オウム」以降の日本であり、
「9.11」以降のアメリカであり。



その憎悪を向けられる他者が
同じ人間であり、
その人にも親があり、愛する人がいて、
日常の営みがあり、日々の喜怒哀楽があり、
そもそも、人は「感情」という生きた血をもっているのだという
他者への想像力が失われ続けている。



「人は、それぞれの会社や組織や共同体に帰属することで
自分の思考を停止して、自覚がまったくないままに
日々「情感」と「想像力」を失い続けている。」


と著者は表現しています。



震災の被災地に支援に行って、
被災者の立ち上がる姿、その強さ、明るさに驚いた、
そして、逆に励まされたという声を
昨年からあちこちで耳にしていましたが、
そのたびに、人間の底力をそんなちっちゃなものと
捉えていることが逆に私は不思議でした。


人の力ってそんなに薄っぺらなものじゃないでしょって
思っていたのですが、それも根っこは同じことのように感じます。



「愛」とか「ワンネス」とか
言ってしまうことは簡単だけれど、
でも、その具体的な中身は、本質は、
自分が嫌いな人、憎んでいる人、赦せない人、
もしくは生理的に嫌だと思う人を
家族のように愛せるか?という問いであるに等しい。



好きな人、意見を同じくする人、
「同じね、一緒ね」と同感できる人と
愛し合い、繋がり、
一体感を得るのは、ある意味普通なこと、簡単なこと。



そうではない人と同じことができるか?を
今、私たちはつきつけられているのではないでしょうか。



もし、親は自分の子どもが傷つけられたら
自分のことのように傷つき、悲しみ、心を痛める。



では、わが子を傷つけた相手に
どう向き合うのか。



そこで剣を抜くのか。



「目には目を」で、
わが子がされたと同じことをし返していくのか。



それとも剣を収めるのか。


どうしたらそれができるのか。
暴力の連鎖を止められるのか。



私自身、明確な答えはもっているわけではありません。
いざとなったら、自分が何をするかはわからない。



でも、報復を繰り返すことが意味あることではない…
というのは誰もが感じることだと思います。



そのためには…?





想像力を失わないこと。



と著者は言います。



想うこと。



「他者の営みや喜怒哀楽や日常を、
際限なく、うずうずと想い続けること」

と。



これを読んだ一人ひとりが
嫌いな人、価値観が違う、分かり合えないと思っている人、
自分を傷つけた人にも、

赤ちゃんだった頃があり、
運動会で力の限り走ったり、
誰かを狂おしく愛したりしたことがあると思ったら、
自分と何ら変わらない喜怒哀楽を持った人間であると思えたら

それだけでも何か新しい見方が生まれるかもしれない。
新しい気持ちが芽生えるかもしれない。



この本の著者もこんなふうに書いてました。



今よりほんの少しだけ、
ひとりでうじうじと悩んだり、溜息をついたり、考えたり
首を傾げたり、煩悶したりする時間を、
もっと皆が意識的に作ったら、
今のこのなし崩し的な世相や、
それによって形成される社会も、
ほんの少しだけ変わるのではと想っている。



「これは白だよ」とあっさり断言されたとき、
でもよく見ると黒も少しだけ混じっているよと
首を傾けながら思うだけで、
大仰を承知で書けば、
憎悪や殺戮が蔓延する今の世界も、
ほんの少しだけ変わるはずだと思っている。



わたしもそう信じます。



そのために…。



一定期間、テレビを見ない。雑誌を読まない。

を実践してみるといいかもしれません。




さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト