今年も残すところあと一日です。

 

去年の今頃って…ああ、病院の中で暇を持て余し、毎日食レポブログ書いてたなぁ…、などと。一年前が随分前のことのように思えます。

そういえば入院しているさなかにウルチ路の突然の再開発ニュースが入ってきて驚きましたっけね。

 

 ここ最近ではなかなかない強引なやり方で撤去&建物の取り壊しが行われたウルチ路三街の再開発エリア。その後、多数の反発によって、立ち退き&取り壊し作業は一時中断。すでに取り壊したところは、調査という名目で工事の手も止まったように見えました。

 

当初は、このエリア全体を取り壊して、隣にあるセウン商街のような、会社・商店と住宅・事務所の複合施設を造る予定だったようです。セウンよりも高い建物として…。ところが、大反対・大反発によって、ここまで取り壊したところで、取り壊し作業が続けられなくなった?、以後立ち退きの作業もとまり、こちらの半分は従来通り、町工場や小さな商店、昔ながらの食堂がそのまま営業しています。

 

 では、取り壊しがあったところはどうなったかというと…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうなりました。

 


 

 

 

 あれ?

これではもう、以前の面影がないですねガーン

道路も拡張されたので、ここに高層ガラス張りのきれいなオフィスビルが建ったら、ソウルのあちこちにあるビジネス地域と同じ表情の町になりそうですね。そうなった姿が、すでに見えるかのようです。




場所はこのあたり。



既に地図でも清渓川側のところが更地になってるのが反映されてますね。先ほどの工事現場はこの辺




もともとあった道も封鎖されて潰されたり拡張されたりして面影すらありません。地図だと道だけは残ってるみたいに見えますけどね。  


反対側のこちらはというと。


以前と同じように、普通に営業・稼働しています。だから、駅から出た時に見える景色は全く変わっていないんですよね。



  このエリア、再開発するすると言われながらもなかなか再開発できないとされていた場所です。古くはハニャン(朝鮮時代の都としてのソウル)の一部として、特権階級にちかい、その中でも比較的庶民?の住む場所だったと言います。まあ、本当の庶民はそもそもハニャンに住めないというのもありますし、こちら側に居を構えた両班などもいたらしいですが…。

日帝時代には日本人街として栄えました。笠井町ですね。もちろん日本人街といっても、ここに住み続けた元々の住民も、ここに移り住んだ朝鮮半島出身者もいました。そして、日本人に雇用された人も。日本人街ができた時、元々の土地所有者の中にはその土地を売った人もいたでしょうし、権力などにものを言わせて矯正的に取り上げられた人もいたことでしょう。

 戦後、"日本人"が引き上げると、それらの土地や家や商店は、縁のある人に引き継がれたり、売り払われたり…したんでしょうね。


  やがて朝鮮戦争が勃発し、民族大シャッフルがおきます。行く場を失った人がソウルをはじめとする都市部に流れ込み、早い者勝ちで雨露を凌げるところに住み着きます。


   こうした複雑な経緯があり、この辺りの建物や土地は所有者が非常に複雑で一括交渉ができない状況だったようです。

   それでも! 土地の買い占めに成功しちゃったみたいですね、開発業者は…。

   それでもそれでも!!大反対運動でこんな感じにストップしたみたいです。




  壊れてしまった街はもう元には戻らないですからね。来年、乙支路はどうなっていくのでしょうか。