いやあ、確かに兆候はあったんです。

 

 時給制で仕事をしている知り合いたちが、「よそで専任をやっていたら時給制の講師の仕事あげるんだけど…」と言われ始めたり。

  自分のところは時給制で人手が足りないところだけ授業をまわしたいけど、安定固定の一年契約は嫌だから、よそでしっかり採用されてきてくれと言ってくる

いやいや、きちんと採用されたらおたくで時給制の講師しませんってアセアセ

 逆に専任している知り合いのところには「人がいなくて困っている、一コマだけでもいいからやってくれないか」という打診がだいぶ来ていたようです。でもね、専任ってほとんどの学校で副業禁止されているんですけどねぇ…アセアセアセアセ

 

 まあ、そんなこんながあったのはおいておいて。

 

 






 勤務校は、大学院時代の先輩が多く、先輩たちに限らずかなりよくしてもらっていました。だから、学科のほうでは私を採用する方向で動いてくれたのですが、もっと上のほうで別の人をとるという決定が下されてしまったのです。で、こういう場合、韓国では不採用連絡はめったに来ません。それを心配した先輩たちが情報収集力を駆使して私が採用から落ちたことを調べて教えてくれました。おかげで、8月になってからですが、比較的早く自分が失業したことを知ることができました。いやあ、もしその人たちが動いてくれなかったら、8月の末まで待って「あれ?音沙汰ないな」と思って、就活のチャンスを完全に逃すところでしたアセアセアセアセアセアセ本当に感謝ですラブラブ

 







 とはいえ、時期は8月。

韓国の大学教員採用は年に二回。9月スタートと3月スタートにあります。今回は9月スタート枠だったので、採用スケジュールはこのようになります。まず、専任採用の募集が6月中頃からぼちぼち現れます。6月下旬から7月上旬にかけて応募期間が設けられ、書類審査に通ると面接に進みます。7月中頃、遅くても7月末くらいまでに採用が決まり、具体的な契約の話に入ります。 


  契約は学校によりますが、遅いところだと、8月上旬から中旬。内定が決まっても、実際に契約書にサインするまで安心できないのが韓国。なので、よそで非常勤などをしている先生は内定をとっても勤務校には連絡しないことが多いです。そして専任採用のサインをもらったら、現勤務校に連絡するのです。8月の上旬から中旬に非常勤の先生が抜けることを知った学校はこのタイミングで非常勤の募集を開始します。ほとんどの場合、すでに授業スケジュールも決まっていて、なんなら受講申請が始まっていたりします。なので、その日のその時間にその科目が教えられる人と、なかなかシビアな人探しになるのです。

 

 で、今回、その8月上旬に放逐されてしまったわけです。今から拾ってくれるところ、あるかなぁ…。

 

 




 

だよね、ないよねガーン





 

 

 

 実は、今回、ビザの変更を考えていました。何しろ毎年こんな感じで振り回されて、そのたびにビザがなくなるガーンガーン と青ざめる生活はしんどい。

  今の学校で雇用してもらいながら、小さな会社を作ってしまえ!!ということで、その準備をしていたんですよね。この夏のビザ申請の時にいまの勤務校の雇用契約書があれば、自由度の高いビザに切り替えることが可能になります。ビザを切り替えたら会社を興せます。全部丸く収まる・・・。はずだったのですが、この計画、すべて破綻しましたドンッ

 

 

 

 

 







一か月後韓国に合法的に住めるかがわからない。

 

 

 

 

 


 

 

 そんな状況を心配した先輩が、地方にあるとある大学の求人が明日までだよと連絡をくれました。とりあえず出すだけでも出してみなさいと。いつもだと、韓国語で書類を準備するのですが、日がない、時間がない。幸い、教養の日本語ではなくて日本学科だったので、日本語で書いても審査側は読めるかなと思い、日本語で書類を準備しました。





履歴書

職務経歴書

成長過程についての作文

教育経歴

研究経歴

教育哲学

授業計画書

などなどなどなど…

 

 

 

 

 ついでに、世の中は狭いもので、別の知り合いから「実は知り合いがエナの学校に採用になりそうなんだけど学校の様子とか教えてあげてもらえない?」と。なるほど。前の学校に採用になる可能性は完全につぶれたね。

 

 ご縁のなかった学校は、本当にご縁が切れていることを確認できたし、新しい知り合いもできたので、そういう意味では収穫は大きかったかな。それはそうと、書類作成っとDASH!

 

 

 せっかく勧めてもらったからという理由で応募書類を作り上げ、念のためともう一度見にいった求人サイトでもう一件、講師の求人をみつけそちらも書類を作っておくりました。

 






そして期待せずに返事を待つこととなったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく