個人的な感覚なのですが、地域の気候風土とその土地に住む人の性格ってちょっとリンクしてるんじゃないかなと思ってたりします。


   高温多湿、じめっとした日本には、比較的ウエットな人間関係を構築する人が住んでいる。からっからのアメリカ西海岸にはカラッとしてて何かやるなら力任せ!みたいな雰囲気が漂っている。

  そんな風に。



   これで行くと韓国人は日本人よりはカラッと気味。何しろ冬場はほとんど水分降ってきませんからね。








      


     たまに旅行者から言われます。
「私が日本人だからか、ボラれそうになった」
と。


 …そうなのかな。


「おっ!憎き日本人が来たぞ。ムカつくけどこっちも商売、ムカつく奴も相手しなきゃならない。ムカつくからこいつから現金巻き上げてやろう。通常の2倍にしてやる‼︎  日頃の恨みだ‼︎」




 なのかな?






   砂漠のようにからっからではないものの、日本より乾いているこの土地の人たちと接してて、どうしてもそういう心の奥底にずっと離れずつきまとってる恨み心を料金の上乗せという形で晴らそうとするタイプに思えないんですよねぇ。(中にはそういう性格の方もいるかもしれませんが)


   どちらかというと、その場その場の思いつきで小者的な欲を出すタイプが多いイメージ。



  だから

「おっ!韓国に不慣れな外国人が来たぞ!ちょっと高く言ってみちゃおうかな。お金も持ってそうだし」


という出来心的なぼったくりの方が多いのではないかと思います。



   私もフリーランスしてるので時々「日本語のレッスン、いくらでやってくれますか」的な料金のお問い合わせがきます。その度に自分のスキルと授業に値段をつけるわけです。どこかに料金表があるわけでもなく、消費する原材料費があるわけでもないので、それこそ好きに値段を設定できます。そうすると家からの距離や、変更の可能性、キャンセルの見通し、現在の生活費、欲しい収入などを考えて値段を設定するわけです。相手がわがままで変動ありそうだったり、お金持ちだなと思った時はちょっと高めに話すこともあります。

   

    お土産物屋さんや明洞の屋台で、もし日本語接客しているところで高めに言われた場合、それってぼったくりなのでしょうか?まずそもそも日本語で接客してくれてるってことは、通常の地元民に接客するのと同じ努力の他に、外国語を学んで使うという努力が必要だということですよね?

  ということは、付加価値が付いているわけですね。

  反対の立場で考えてみたらわかりやすいかも。

    売り子さんで日本語だけしかできない人と、外国人客が多い環境で外国語で接客できる人、そのためにたくさんの時間を投資した人が全く同じ収入でなければならない理由ってないですよね。

    そう考えると、ある程度の料金の上乗せは日本語接客手数料だと思うこと、できませんかね。限度ってものはありますけどね。




 
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