続篇みたいになりますが・・・

 

 

 

 

こちらは、現在絶賛セッション中でグダグダの方へのヒントになると思うので書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

こちらを読んでの記事を書いています。

 

 

 

 

 

 

自分が見えてくると、文の書き方に変化してくるんですよね。

 

 

 

”会話、って相手が何を言いたいのか、とか、いろいろ必要なんだな。”

 

 

 

当たり前すぎますが、相手が言いたいことを理解しよう、相手を理解したいと思えないのは、自分が言いたいことを言って終わっていいと思っているからですよね。

 

 

 

私を解ってほしいがまず先に来てしまうとコミュニケーションは成り立ちません。

 

 

 

※ここはコミュニケーションを取る前提として説明※

 

 

 

 

”私は相手の考えが全く理解できない状態で解決しよう! としてる。”

 

 

 

これで解決するわけがないんですよね。

 

 

冷静になると、こうして原因が見えてきますね。

 

 

 

ズレている様子がよくわかりますが、自分を責めている感じがないのがわかりますよね?

 

 

 

そうだったなあ、、、というだけ。

 

 

 

過去に対して余計な価値観を付け加えてない。

 

 

 

それが、余計なものを肩から下ろした証拠です。

 

 

 

余計な物を肩に積みあげて、ギュっと手に握りしめて、部屋も取っ散らかってる状態では、自分は見えないんですね。

 

 

 

で、自分に×をたくさんつけている状態では、「私ってズレてたな、、、」とか冷静に受け止められないんですよ。

 

 

 

それ以上現実の自分を見たくないワケ。

 

 

 

「私ズレててバカみたいw」のように、小馬鹿にはできますよ?

 

 

でもそれは、認めるとは違うんですよ。

 

どちらかというと自責に近いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

親の態度が遺伝することがよくわかりますね。

 

 

 

※一応書いておきますがDAN的な遺伝という意味ではないですよ。

 

 

 

これが呪縛

 

 

 

その被害者意識どれだけ人生を狂わすか、私のブログを読んでいる読者なら痛いほどわかりますよね?

 

 

 

結婚する前、子供を産む前に、幼少期のトラウマのケアは絶対にした方がいい

 

 

 

この手の親は全てにおいて自分の中の意識を詰めて考えたことが無いので、平気でダブルバインドをやらかすのです。

 

 

 

矛盾したことを平気で言うという事ね。

 

 

 

だからこそ、被害者意識も植え付けながら悪いことをしたかのような罪の意識も同時に植え付けられるのです。

 

 

 

 

恐ろしいと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

犯罪を犯したわけでもないのに、こういう生真面目さと罪の意識が掛け合わされると自分を深く深く傷つける道具となるのです。

 

 

 

 

 

気が晴れなくて自分を責める。

 

 

だから、自慰行為と同じなのです。

 

 

 

そして、聖人君子を目指して名誉挽回しようとする。

 

 

 

汚れてると感じるほどそれを強く求めるのです。

 

 

だから、ああなりたい、こうなりたいと理想ばかり膨れ上がる。

 

 

そうすればみんなが自分を許してくれると。

 

 

 

そして、全く理想の自分とはかけ離れた現実の自分をみると発狂しそうになるためにみないようになる

 

 

 

自分を観ないということは、自分を感じないということです。

 

 

 

それはどうなりますか?

 

 

 

生きている感覚まで失われます。

 

 

 

リアルタイムセッションでも、まさにこの状態の人が居ます。

 

 

 

それを取り戻すのは至難の業なのです。

 

 

 

 

 

 

 

自分を受け止めるって、こういうことなんですよ。

 

 

物事を考えるって、こういうことなんです。

 

 

 

それは、劇場でひとり自作自演しているような人生ではできないんだ、ということがよくわかると思います。

 

 

 

 

自分の人生に自分しかいなくないですか?

 

 

 

それこそが劇場の中にいるということです。

 

 

 

世界はあなたのためにあるわけではないんです。

 

 

あなたのためだけに用意されたのは、あなたの命だけであって、この世界ではないんです。

 

 

 

 

あなた以外の人も同じように生きてるんですよ。

 

 

 

人生のハンドルを握るというのは、外の景色も、信号も、歩いている人も、自転車に乗る人も、同じようにハンドルを握っている人も見えることなんです。

 

 

 

自分しか見えないというのは、自分の人生を生きているということではありません。

 

 

 

それは劇場で自作自演しているということです。

 

 

 

あなたは、宝だと思ってゴミを握りしめているかもしれません。

 

 

自分を冷静に視てくださいね。

 

 

 

 

 

ではまたバイバイ

 

 

 

 

 

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※題名にビビット来たら読む必要があるやつです下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

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