私のブログに刺激され、日常に起こった出来事を学びと受け取る。
これは、非常に楽しい状況です。
しかし、悲観的になっているとき、要するに悲劇のヒロインから出られない時、ブログの言葉も苦しいし、日常で起こることも辛いです。
それは、主観しかないサインです。
この方は、やっと自分を観ることが本当に楽しくなってきたようです。
つい先日まで、自分の現実がしんどいといって憂鬱な日常を送っていたはずなのに、そこを乗り越えて今では楽しんでいる
大波に乗りましたね
自分と向き合うことを楽しいと思えたら、どんどん前に進みます。
勇気も出るし、前に進みやすいですね。
逆は当然、マイナス回転です。
この転換がうまくいかないと、マイナス回転が長いです。
不満を垂れるより先に、自分で気づきを見つけようとすることが大切です。
今日のセッションでも言いましたが、能動的に受け入れられないなら、受動的に諦めるしかないのですよ。
人生と言うのは、あなたが現実を受け入れてようが、拒絶していようが、実際は強制的に受け入れさせられているのです。
私はこんな顔じゃない!といって鏡の自分を拒絶しても顔が変わらないのと同じ。
あなたが、こんな私は受け入れたくないと言ったところで、現実からしたら「しらんがな」なのです
だから、あっという間に時間が経つのよ(笑)
そうしてある程度時間が経つと、もう諦めざるを得ないという状況になります。
自動的にね。
年齢も頃合いを過ぎたのに、「私にはもっと良い人がいるのよ!」と自分の等身大を観ないで理想を追いかけていても、最終的には誰も捕まえることができないなら、もはや「誰ひとり相手にしてもらえない」という現実をうけいれるしかないでしょう?
そういう感じです。
自動的に「自分はこんなもんか・・」と諦めさせられた場合、何も土台がありません。
ですから、現実を観ればみるほどつくづく嫌になります。
能動的に、主体性を持って自分を受け入れた場合は、明るい未来をみながら「自分はこうなんだ」と受け入れているので、受け入れたときに土台ができているんです。
だから、そういう自分を生かして生きるぞという意欲がわきやすい。
「もうダメだ・・」と自動的に諦めさせられた場合は、そうはいきませんよ。
こうなったら大変。
理想が高ければ高いほど、年を摂るほどに辛い思いをします。
いちいち面倒臭い爺さん婆さんっているでしょう?
あんな感じです
自動的に、諦めて受け入れざるを得ない状況で等身大の自分をイヤイヤ受け入れる入りも、主体性をもって自分を観ることに取り組み、快く自分から受け入れる方がいいです。
そして、自分を見つめ、等身大の自分を受け入れていってこそ、どんどん肩の力が抜けていき、また自分がよく見えるようになるんです。
そうして余裕が出ると、私の生き方の価値観って何だ?と自ら飛び込んでいくことができます。
そこからまた、人はどんどん解放されるのです。
出来事に反応しながら自分を知ってくださいね。
ではまた