身体•心•エネルギーを自分の最善に整える
量子セラピスト Sayakaです。
88歳の叔母が3度目の乳がんで
来月手術することになった。
私の母と叔母の近所に住む
元同僚の60歳位のお友達が
主力で病院付き添いをしている。
先日、親族への説明ということで
母が行く予定だったけど
私も一緒に行って欲しいと母から連絡が
あり、病院にいってきた。
叔母は病院まで乗り換えなしなのだけど
手術とか、気が動転していたのか
大幅に乗り過ごして、慌ててタクシーで
かけつけた。
看護師、養護教諭とずっと働いてきた
人なので、こうして自分が老いて
失敗することがすごく悲しいよう。
「私、乗り過ごすなんで。
もう生きていたくなくなっちゃう」と。
気が動転するよね。
88歳でちゃんと1人で歩いて出てこられるし
乗り過ごしても、タクシーで来られたし、
大丈夫、大丈夫、充分!
となだめる。
ドクターにも
「もう、そろそろ命を終えてもいいんだけど
神様はなんで私を生かすのかしら?」
と尋ねてました。
入院と、手術に向けて、記入する
書類をしこたまもらって、
こりゃ、気が動転してる叔母1人では
難しいな。と思い、帰りにカフェに
寄って、聞きながら書類を完成させて
おきました。
大したことじゃないんだけど
「若い人がいると助かるわ」
と何度も言ってました。
昨日の夜遅く、ふと叔母が頭に浮かんで
「明日電話してみよう」って
思いました。
翌朝、覚えてはいるのに、
電話かけるまでウダウダ。
思考で勝手に、電話かけて
今日、叔母が在宅なら行ってあげないと
行けないかな。と思ってるから
ちょっと気が重たくなっていた。
10時半位に電話してもでない。
携帯も家も。
そしたら1時位に叔母からかかってきて
入院のための買い物に行ってたと。
暑かったし、疲れたから
午後はお昼寝するわ。と。
だから行く必要はなかった。
電話しただけなのに、
この前のことをまだありがたがって
くれて、電話して気にかけたことも
いたく喜んでた。
あー、勝手に
「行ってあげなきゃ」って
背負ってたな。って。
そーやって、まだきてない未来を
勝手に想像して、勝手に気が重くなってた。
ふと浮かんだんだから、
その軽さでただ電話すればいいだけ。
その後のことは、その時決めればいい。
腰が重くなるのって
勝手に先々の責任まで背負ってるって
無意識にやったりする。
もっともーっと、イマココを
生きられるなぁ。
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